各国の対応


タイ

 チャワリット首相の軍事顧問は、フン・セン第二首相のクーデターとその後の総選挙実現不可能性を予測していた。カンボジア内戦において、ラナリット第一首相らの反ベトナム三派連合を後押しし、その戦力の中心だったポル・ポト派がもたらすルビーや木材で莫大な利益を得て、武器の密輸も公然と行っていた。しかし、1986年以降4年間、当時陸軍司令官だったチャワリット氏(現タイ国首相)はフン・セン派の軍とも太いパイプをつくり、カンボジア和平では紛争4派の調停役として重要な役割を果たした。チャワリットタイ国首相とフン・セン第二首相との関係の親密さは、8日にいち早くタイ救援機がプノンペン入りを許されたことからもわかる。東南アジアで唯一植民地化されなかったタイは、柔軟な近郊外交をとり、これまでも周辺地域の安定を自らの経済発展に結びつけてきた。ただ、最近は順調な経済成長にも陰りが見え始め、タイにとって地域の不安定化は望ましくない。

ベトナム

 ベトナムは1978年にカンボジアに軍事侵攻し、ヘン・サムリン政権とその後のフン・セン氏を支援してきた。しかし、ベトナムの指導部は世代交代の時期を迎えていて、政治的に極めて微妙な時期にある。カンボジア駐留を経験した若手軍人が台頭すれば、カンボジアに対してより強固な態度に出る可能性もある。しかし、それが行きすぎると、カンボジア人の反ベトナム感情を刺激して、在カンボジア約10万人の同胞に跳ね返る恐れもある。ベトナムは現在難しい立場にあり、カンボジアの不安定化は望んでいない。

中国

 中国は以前から「フン・セン第二首相が権力を完全に掌握する」と読んでいたようで、1996年7月のフン・セン氏の訪中の際、江沢民国家主席は「様々な分野で協力を進めたい」と述べている。親ベトナムのヘン・サムリン政権で首相を務めたフン・セン氏を「最高実力者」として認知したと言っていい。中国の現在の立場は、「友好的な近隣国として、我々は情勢の複雑化を防ぐよう望む。」という唐国強外務省報道局副局長の言葉に尽きる。

日本

 国連PKOへの本格的な参加を実現し、初めて自衛隊を派遣、和平交渉、最大の復興援助など日本のカンボジア紛争への取り組みはかなり独自色の強いものであった。カンボジア和平の枠組みが崩れてしまうと、冷戦後の日本外交の真価が根底から問われかねないのである。かといって日本は約80億円のODAを事実上凍結したばかりであり、日本の影響力は限られている。また、日本は最大の援助国であるのにASEANや欧米に比べて今回の事態に対する政府の姿勢が見えにくい。情勢判断だけに引っ張られていては現状の追認に傾きがちだが、カンボジアが独裁政治に陥ってしまうと、真の政治的安定は望めない。その点、事態の改善を求める意志をはっきりと表明すべきであろう。今回、橋本龍太郎首相が邦人救出を理由に自衛隊輸送機をタイに移動させる指示を出したが、その狙いは日米防衛協力のための指針の見直しをにらんだ実績作りにあるのだろう。これでは、自衛隊機の海外派遣だけが日本のカンボジア問題に対する関心事と見られてもおかしくない。

アメリカ

 7月8日、アメリカはフンセン第二首相を「権力を握るため武力を行使した」と初めて名指しで非難した。民主主義用語の原則論が根強いアメリカらしい対応である。しかし、ラナリット第一首相に肩入れするのは現実的でないうえに、ラナリット派との提携を通してポル・ポト派が復権するのを認めるわけにはいかず、「ヒーローのいないドラマ」にどう関わればいいのかというジレンマに陥っている。そんななか、アメリカは、フン・セン第二首相の武力行使への制裁としてカンボジアに対する援助を30日間凍結すると発表した。アメリカの対カンボジア援助は約3500万ドル。この30日間で、援助内容を見直して、地雷撤去などの民間向け援助は再開し、政権向けの援助は停止する方針である。


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