フン・セン第二首相によるラナリット氏の武力追放に対し、国際的な経済制裁の動きが加速している。最大の援助国日本がいち早く援助凍結を打ち出したのに続き、ドイツが10日間の開発援助即時停止を発表、アメリカも30日間の援助停止を決め、オーストラリアもそれに追従し軍事援助の凍結を決定した。カンボジアは歳入の4割以上を外国援助に頼り、そのうちの4割を日本・アメリカ・オーストラリアで占めているので、財政破綻の可能性も否定は出来ない。もし、国連・IMF(国際通貨基金)などの国際機関も態度を硬化させれば、1996年に6.0%を記録したカンボジアの実質経済成長率の急落は避けられない。さらに、カンボジア国会は定数120議席、定足数は84議席。人民党の51議席と、連携する他党の議員を会わせても65議席にとどまる。つまり、国会開催には反フン・セン派議員の出席が必要だが、フン・セン氏に批判的な議員は国外脱出をしつつある。これで国会が開けなかったら、「合法的な首相交代」が難しくなってしまう。
この状況下でフン・セン氏は、ラナリット第一首相の後継を模索し、その第一候補としてトン・チャイ・シェムリアップ州知事
(写真右)を挙げた。トン・チャイ氏は1997年4月にラナリット第一首相の党首辞任を求め、除名されて、6月に「新フンシンペック党」を結成して、その党首に選出されていた。新フンシンペック党は「フンセンペック党」といわれるほどフン・セン第二首相と近い。トン・チャイ氏自身も、「国民とフンシンペック党の支持があれば次期第一首相の就任を受け入れる」と意欲を見せていた。
この事態に対し、北京にいるシアヌーク国王がこれを黙認していることもあって、日本政府は、これ以上の武力行使をせず、憲法の遵守や総選挙の実施して、UNTAC(国連カンボジア暫定行政機構)が築いた民主政治の枠組みを維持するという条件を満たせば、フン・セン体制を追認する意向を示した。これについて、トン・チャイ氏は「十分可能だ」として国際社会の信任を得ていく自信を見せた。さらに、カンボジアのASEAN加盟を再協議する可能性も浮上するなど、フン・セン体制は是と出る可能性が強くなってきた。
そして7月16日、フン・セン氏がさらに勢力を握る方向で事が進んだ。第一首相がウン・フォト外相(写真下)
に変更・決定したのである。トン・チャイ氏は内戦時代の軍参謀長で、先述したように党首ラナリット氏に反旗を翻した硬骨漢でもある。つまり、トン・チャイ氏を中心にフンシンペック党がまとまると、来年の選挙でうるさい存在になるかも知れないという懸念がフン・セン氏にあったのであろう。また、トン・チャイ知事が国会議員でないうえに第二首相寄りなこともあってフンシンペック党内の幅広い支持が得られなかったのである。それに比べて、ウン・フォト外相は党内中間派で、ロイ・シムチェン国会議長代行など党内の大物とも近い立場にある。そのうえ、外相との兼務で第一首相になれば、実質的にはフン・セン氏の一人首相制になるといえる。後任の第一首相が変わったところで、新体制の全権をフン・セン氏が握ることに変わりはないのだが、かつてゲリラ戦を指揮した軍人のトン・チャイ氏よりも、ビジネスマン出身のウン・フォト氏の方が制御しやすいと判断したのである。
プノンペンでの記者会見で、ウン・フォト氏は第一首相の受諾はラナリット氏よりも国のためを想って決定したことで、「殿下(ラナリット氏)が誠実ならこのことに同意してくれるだろう。」と、難しい選択だったことを強調した。また、ASEANの加盟については楽観的な見通しを示し、ポル・ポト派との帰順交渉については、交渉自体は支持するが秘密交渉は認められないとフン・セン第二首相への配慮も見せた。
一方、フンシンペック党では親ラナリット幹部多数が国外に逃れていて、この決定に海外から反発の声が挙がる公算が大きいが、党執行部は10人で構成する運営委員会メンバーが来年の総選挙まで党の運営に当たるとすでに決定していて、その臨時党大会でウン・フォト外相の第一首相擁立を正式に決める方針である。
この「フン・セン−ウン・フォト体制」について、アメリカは承認しない方針を示したが、ベトナム、中国、オーストラリア、そしてシアヌーク国王でさえも容認している。特にオーストラリアはウン・フォト外相について「国際的に評価される人物」と評価している。ウン・フォト氏はオーストラリア大学を卒業していて、ダウナー外相とは個人的な友人でもあるからだろう。また、北京に滞在中のシアヌーク国王は「カンボジアの政治に介入するつもりはない。健康状態がすぐれず祖国の運命を変えうる立場にはない」と事実上連立という形式をもったフン・セン体制を承認した。ちなみに、中国の銭外相は「国王の地位と役割を尊重する。国王の権威と尊厳を維持し、カンボジア王国連合政府の現在の政治体制における枠組みを守るべきだ」と述べ、シアヌーク国王を評価した。