シアヌーク国王の帰国


 シアヌーク国王は退位文書をちらつかせることで国王としての存在感とその健在ぶりを示している。実際に退位する可能性はゼロに近いことを、つまり、フン・セン第二首相がシアヌーク国王の退位に同意しないことを国王はわかっているのである。国王が退位してしまうと混乱はもっと大きくなり、「現状追認型」の早期収拾を目指すフン・セン氏の意向に添わないし、なにより、シアヌーク氏が政治に復帰できるようになり、求心力を失っているフンシンペック党が息を吹き返してしまうと、1998年5月の総選挙も悪夢となってしまう可能性があるのだ。シアヌーク国王のそんな読みが当たって、北京での会談でフン・セン氏はシアヌーク国王に国王の座にとどまるように要請し、その忠誠を誓った。

 この新体制について、訪中したウン・フォト第一首相とフン・セン第二首相と会談した中国の李鵬首相は、ウン・フォト氏を「首相」と呼び、内政不干渉の立場から第一首相を認知した。さらに、ASEANも8月11日の特別外相会議で結論を回避したとはいえ、カンボジアの「新体制」を事実上黙認している。武力による権力奪取という点でフン・セン氏を批判できても、フン・セン氏が政府や軍の実権を掌握し、国会でウン・フォト氏が賛成多数で第一首相に選出されたのは動かしがたい事実なのである。ただ、シアヌーク国王もASEANも「すべての政治勢力が総選挙に参加することが重要である」として、ラナリット氏を擁護する姿勢を変えたわけではない。シアヌーク国王が依然フン・セン政権を認めていないことは、「新体制の祝福」だと報じられた先の北京での会談におけるの「昼食会での乾杯」を「彼らの健康のために乾杯しただけだ」と一蹴したことからもはっきりしている。

 そんな中、カンボジアの国防省筋が、ラナリット前第一首相派の最後の軍事拠点であるオスマッチに政府軍部隊が十数キロ地点まで迫っていることを明らかにした。8月19日、政府軍は、周辺に地雷が幾重にも埋められて要塞化していたオスマッチをほぼ制圧した。蛇足だが、数日後のオスマッチ攻撃の際、その砲弾がタイに越境しタイ軍兵士3人を死傷させてしまう。話を元に戻すと、ポト派との共闘を否定していたラナリット氏が、その合流を認めたため、フン・セン第二首相はさらに、カンボジア北部でタイ国境近くにあるポル・ポト派の拠点で、ラナリット派部隊の一部が向かうアンロンベンを今年12月までに奪回すると宣言した。ただ、その攻略は軍事的なものでなく、「非合法化された」指導者を除く(ポル・ポト元首相、タ・モク参謀長官、キュー・サムファン幹部会議長ら)兵士らに政府軍への投降を働きかけるという形をとったようだ。また、優位に立とうとするフン・センと反フン・セン両陣営は、イエン・サリ派(プノンマライやパイリンを支配)の取り込みに動いている。イエン・サリ派は政府 軍に編入されたとはいえ、財政的に豊かなうえ、「サリ派」軍も健在なのである。サリ氏はタイ人記者との会見で政治的に中立の立場を表明しているが、その動向次第で情勢が大きく変化するのは確実である。

 ここでオスマッチの難民について触れておくと、「フン・セン派の兵士は一般市民も巻き添えにしている」と言ってタイ側のキャンプに逃れた避難民は3万人以上に膨れ上がった。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)による米40トンの支給やタイ政府の医薬品提供で数週間はもつだろうが、30人のマラリアと16人の感染症による下痢の患者からもわかるように、衛生上の悪化による伝染病の発生が懸念されている。

 さて、8月29日、療養のために北京に滞在していたシアヌーク国王が半年ぶりにカンボジアに帰国した。国王は仏教式典に参加するためシェムリアップに滞在する。プノンペンには立ち寄らないが、これはフン・セン第二首相が主導する現政権とは一線を画す姿勢を示しているのである。「政治には関わらない」としてあえてプノンペンを避けたが、国王が事態収拾に向けて動くのは明らかであった。そして大方の予想通り、シアヌーク国王は滞在先のシェムリアップで、ラナリット元第一首相とフン・セン第二首相に和平会談を呼びかけ、仲介する用意があることを明らかにした。これに追随してラナリット氏も、フン・セン氏に交渉の席に着くよう呼びかけ、国王(実父)の仲介に強い期待感を示した。しかし、フン・セン氏はウン・フォト氏と連名で、この和平会談を事実上拒否する書簡をシアヌーク国王に送った。その書簡では、ラナリット氏の武器密輸疑惑や内戦の責任が問われていた。

 その後、シアヌーク国王はウン・フォト氏を「第一首相兼外相」と呼び、新体制を認知したのではないかと思われた。また、日本・ロシア・中国・フランスがフン・セン第二首相の権力掌握を容認する中、フン・セン体制糾弾を基本に置くアメリカの孤立が目立ってきていた。さらに、カンボジア国会が、国外に逃れたままのラナリット派議員を一掃する内容の「内閣改造案」を否決し、フン・セン氏がカンボジア国会が民主的であることを強調するなど、不安定ではあっても政権の基盤が築かれつつあった。しかし、フン・セン第二首相ががラナリット氏の失脚に固執しすぎたのがよくなかった。ASEANは単独での調停役を放棄するし、シアヌーク国王もフン・セン氏を厳しく批判し始めた。その背景には、国連総会への出席が認められず、観光客の激減し、海外投資が手控えられているのに加え、国家歳入の二割近い国際機関からの財政援助も相次いで凍結されたという事実がある。国王は「仏教徒でなければ自殺したいほどだ」とも嘆いている。

 結局10月25日、シアヌーク国王は病気療養のため北京に戻った。現政権への不快感を暗に示しつつも国王としての影響力の低下が浮き彫りとなった帰国であったのかもしれない。国王は「カンボジア国民の父として私の役割は減じ、私にできることは祖国を飲み込む紛争と国際的孤立を、深い苦悩と絶望を持って見守るだけだ」と地元紙に発表した。

 10月末の現時点ではカンボジアの情勢は不安定としか言いようがない。フン・セン氏が表明した「年末までのアンロンベンの攻撃とポル・ポト元首相の逮捕」、「1998年5月の総選挙」が無事終了するまで何が起こっても不思議ではない状況という感がある。

 最後になるが、シアヌーク国王の、息子ラナリット氏への想いが国王の公平な心をゆがめてしまい、ラナリット氏の人徳のなさがシアヌーク氏の徳さえも薄めつつあるような気がする。そして、フン・セン氏はラナリット氏(とシアヌーク国王)を意識しすぎるあまり、政治家としての役割を見失っているのではないか。「ヒーローのいない」カンボジアにおいて、今一番望まれているのは、本当に国民を想って政治ができる指導者である。腐敗したトップを一掃しなければ本当の意味での民主政治が行えないのは、どこの国も同じなのであろう。



 これまで、どうもありがとうございました。今後も大きな出来事があるごとに更新していこうと思ってはいますが、当面は様子を見守ってみようと思います。私にとってカンボジアがどういう国なのか、ここまでやってみてもよくわからない気がします。ただ自分の中でとても大きなものであることに間違いはなく、カンボジアを通じて色んな考えの自分に気付くことができました。最後になりましたが、何よりもカンボジアの人々に本当の幸せが訪れることを心から祈っています。

岡崎太朗

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