変革期のASEAN

 1997年7月24・25日、マレーシアの首都クアラルンプールでASEAN定例外相会議が開かれ、カンボジア問題を始め、タイバーツの急落に伴う東南アジア諸国の通貨不安についての対応策、核保有国に対する東南アジア非核地帯条約の議定所への調印を促す方策などが討議された。タイのプラチュアップ外相やフィリピンのシアゾン外相はカンボジア問題に対してASEANが積極的な調停役を果たすべきだと主張する一方、ポル・ポト派を打倒し89年まで軍を駐留させたベトナムは「内政問題であって、カンボジア国民自身で解決されるべきだ」と現状を追認するなど、過去のカンボジア内戦でこの国と様々な形で関わってきたASEAN各国のカンボジア政変への対応には温度差があることが浮き彫りになってしまった。

 また、カンボジアの対応も揺れている。ミャンマー・ラオスの加盟日23日に、カンボジア加盟延期を「大きな誤りだ」と非難したフン・セン第二首相に対して、インドネシアのアラタス外相が激怒したのだが、翌24日の外相会議の日にはフン・セン氏は「カンボジアの平和を安全のために果たすASEANの役割を受け入れることができる」と一転して柔軟な姿勢を示した。当会議ではウン・フォト外相が早期加盟を訴え、武力衝突を「混乱と第二の虐殺を回避する正当な行動だ」と国際世論に訴えた。内政干渉されたくはないが、ASEANに早く加盟したいという、カンボジアにとっても難しいところなのだろう。

 この会議で大きな前進をしたと思われるのは、対カンボジア強硬策を主張していたアメリカが「ASEANの調停に期待する」と、ASEANの再調停にゆだねる考えを示したことである。これまで、アメリカはウン・フォト外相を第一首相に擁立することに反対し、中国に支持を求めたり(中国側は同調を避けたが)、援助凍結を決定・延長したりしていた。しかし、アメリカはカンボジアとのパイプが細いためその影響力に限界があり、日本やASEAN諸国がすでにウン・フォト第一首相の容認に傾いていることから、妥協せざるを得なくなったといえよう。

 また、この外相会議では域内の政治的安定を目指して、安全保障問題を話し合うARFの役割を「信頼醸成」から「予防外交」へと強化する方針を打ち出した。

 余談だが、25日、アンロンベンでポル・ポト派による「人民裁判(写真あり)」でポル・ポト氏が裁かれ、終身刑を言い渡された。

 7月27日、ARF(ASEAN地域フォーラム)の第4回会議がクアラルンプールで開催された。ASEANはミャンマーの民主化促進・カンボジア問題の調停という二つの課題を背負い込んでいて、このことからARF議長声明では、ASEANのミャンマー・カンボジア問題への関与を強調する文言が付け加えられた。

 カンボジア問題では参加各国がASEANによる調停を支持し、進展を見守る姿勢で一致した。カンボジアのウン・フォト外相は声明で、ARFの役割を「地域の平和と安定を結びつけるのに貢献しいている」と評価し、さらに「信用と信頼が基本で、信頼醸成と予防外交の深い理解が必要」とも述べた。そのうえで、外相はカンボジアが解決すべき課題として、@情勢の安定化、Aパリ和平協定の尊重、B政府機関の存続、C自由で公正な総選挙の実施の4つを挙げた。また、ASEAN加盟については「私見だが、早期加盟の固い決意に変わりはない」と、ASEANの仲介を評価した。

 ミャンマー問題については、ASEANは@憲法の早期制定選挙実施、Aアウン・サン・スー・チー国民民主連盟(NLD)書記長との対話開始、Bイスラム教徒など少数派保護の3項目を軍事政権に伝えた。会議では、アメリカのオルブライト国務長官はミャンマーを「政府が麻薬貿易を守り利益を得ている国」と厳しい表現で依然として批判している。ASEANの調停に明確な進展がなければ、ミャンマーのみならず、ASEANにも批判が高まるのは必至である。

 この他、ARFの機能強化のため、現状の軍事情報の透明化などを柱とした「信頼醸成」を継続しながらも、「(紛争)予防外交」を進めることで合意し、本格的な地域安保機構へ一歩を踏み出した。

 さて、このARF(ASEAN地域フォーラム)の意義は評価すべきである。ASEANを中心にアメリカ・日本・ロシア・中国など主要国を地域の安全保障対話に引き込み、信頼醸成・紛争予防外交・紛争既決のメカニズムを目指すARFは既になくてはならない。ただ、これまでのように互いに内政に干渉せず、対立を避け、コンセンサス重視で事を運ぶという「アジアの価値観」という曖昧な概念は捨てるべきだ。メンバーを増やし仲良くやっていくだけの段階から脱皮し、急速に増している国際的責任に応えるため、内的な充実に目を向け、行動基準の明確化を実行しなければ、外からの認知にも影響するだろう。「域内の民主化をどう進め、経済・社会的な国際基準をどう受けとめていくか?」カンボジア加盟をめぐる蹉跌が露呈した、ASEANが内包する弱点に対する答えはここにあるのかもしれない。

 7月28日・29日、ASEAN拡大外相会議では、マレーシアのマハティール首相が国連の「世界人権宣言」の見直しを提案し、これを支持するASEAN諸国と中国、反対の欧米が論争した。ここで、改めて「欧米 対 ASEAN」の図式が浮き彫りとなった。マハティール首相は「この宣言は、貧しい国が何を必要としているか理解していない超大国が作成した」と国連に見直しを提案したが、アメリカは「人権宣言はホロコースト(ユダヤ人大虐殺)などを経験した第二次世界大戦後の努力の賜で、アメリカや西洋の価値ではない」と反論した。

 こうしてASEANによる一連の国際会議は閉幕した。

 8月6日、カンボジアは本会議でウン・フォト氏を第一首相に選任した。これに対するシアヌーク国王やラナリット元第一首相の反応が今後注目されている。

「新体制」の容認
ASEANについて

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