ツール・スレーンとキリング・フィールド

 ツール・スレーンとは、フランス時代のリセ(フランスの中等教育機関)をポル・ポトが拷問場として使った場所である。今の静けさが恐怖感を増す。校庭の鉄棒でさえ拷問に使用されたらしい。

 バイクの運転手を入り口に置いて一人、一部屋一部屋覗いてまわった。いくつもの部屋に拷問された無数の人たちの顔写真がある。目は開いているのに、現実を見ることから逃れようとしてか、その瞳には何もうつっていないようだ。また、錆びついた拷問用具が置かれたある部屋は、鋭い陽光が差し込むにも関わらず、血のにおいの錯覚。いまだ時は止まっていた。クメール・ルージュが残した頭蓋骨の山はあまりにも有名だが、これこそがこの被写体たちの末路だったのである。それから約20年後の現在、ポル・ポト氏が拘束されたと伝えられた(別頁参照)。ここにようやく、被写体の一人ひとりがポル・ポトの行った大虐殺の「証人」として生き返ることになったのである。

 キリング・フィールド(写真)はその名の通り「殺戮の野」。骸骨が塔の中に積み上げられている。映画「キリング・フィールド」では、ニューヨーク・タイムズ紙の報道アシスタント、ディス・プランがいかにカンボジアから脱出したかが描かれている。彼はタクシーの運転手として身分を偽り、真実はひた隠しにして生き延びた。真実を漏らすこと、反論することは死を意味していたのである。

教育を受けた名残をのぞかせたもの、革命前に財産を所有していたもの、眼鏡をかけているだけで「知識人」を見なされたものなど、何万の市民が即座に殺された。カンボジアのどの家でも、家族か親戚が一人は殺されている。その一方で、ポト派に関係していたものが身内にいるのではないかという不安もある。カンボジアはまだ、あの時代の犯罪を直視する準備ができていないのである。

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