地雷

 ある寺院の階段で、地雷の被害を受けた少女を見かけた。あまりのショックに、その少女にカンボジアでは結構な額のお金を渡した。しかし、少女はそれを受け取ることができなかった。両手も両足も地雷で失っていたのである。

 世界に1億1,000万ほど埋められているという地雷のうち、カンボジアには400万〜600万個あると言われている。地雷はふつう国を守るため、国境に沿って埋められるが、カンボジアの場合は、内戦のせいもあって、西側半分は地雷で埋め尽くされている。ただ、遺跡中の地雷はすべて撤去されているので、その点は安心してよい。現在、除去作業が行われているが、地雷撤去車(地雷を踏みながらゆっくり走る頑丈な車)で処理できる地雷は8割程度である。斜めに埋まったものや、じわりと踏まないと反応しないものは、結局手作業によるしかない。金属探知器を使った地道な作業は1日で畳6畳分しかすすまない。このままのペースでは、1,100年かかっても終わらないと言われている。

 しかも、カンボジア国内では月に200から300人が地雷の被害にあっている。彼らのうち8割が地雷の危険地帯だと知って、その場所に足を踏み入れている。なぜか?それは、その行為が彼らの生活に欠かせないからである。たとえば、薪を集めたりするために。また、勝手に移動しないように、家畜は家につながれている。ポル・ポト派に追われ20年前に村を捨てた人々も、その村に地雷が埋められてしまったと知っていながら、他に行くところがなく、村に戻ってきた。地雷の中で暮らしている彼らに、選択の余地はないのである。

 対人地雷の恐ろしさは、それによって死なないことである。地雷には、手足だけを吹き飛ばすものが多い。残酷の一言につきる。実際にカンボジアを歩いていて、地雷の被害者のあまりの多さに、驚愕するであろう。ほとんどの人々が、お金を求めている。生きるために。また、目がつぶれているのに、手がないのに一生懸命働く人もいれば、片足がなくてお金をくれと言ってくる人もいる。自分の無力さを実感する。どうしたらいいのか。答えなどない。ただ、この世界にこういう人たちもいる、ということをしっかり認識するべきである。

 また、少し前までアンコールワットの近くに住んでいた地雷の被害者達は、「美観を損ねる」そんな理由で隔離された村に住んでいる。観光産業で成り立っている国だからなのか?旅行者達はアンコールワットを美しい遺跡と思って終わってしまっていいのか?アンコールワットも、地雷の被害者も、すべてこのカンボジアであり、それを知ることがカンボジアを知ることだ。

 最近、地雷を取り除くお金を集めるため、「地雷の野」を「花の野」に変えようとする内容の絵本が日本で売り出されている。地雷の傷跡を取り除くことができなくても、その残骸を取り除くことはできるのかもしれない。

 「対人地雷全面禁止条約」。世界100カ国以上で、地雷を作ること、地雷を埋めることが禁止された。あのダイアナ妃は地雷撤去活動に積極的に参加し、アンゴラに赴き、メディアにも取り上げられている。世界は一歩ずつ平和に近づいている、そう信じたい。

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