アンコール・ワットのうわさを聞き、平家物語に出てくる「祇園精舎」だと信じて、鎖国時代にカンボジアへやってきた人物がいる。森本右近太夫がその人である。彼は父・義太夫(加藤清正の親友でもあり家来でもあり、清正の堅固な城をつくった人物)の菩提を弔いにやってきたのである。 なぜそれがわかるかというと、正面中回廊に彼の文字が残っているからである。どうやら墨で書いたようである。第一回廊と第二回廊の間にある北西の経蔵にも彼の遺筆(写真)がある。
その約80年後、徳川3代将軍家光の命により「祇園精舎」視察に来た島野兼了(長崎の通詞)は、このアンコール・ワットをインドの祇園精舎だと思いこんで、その見取り図を作成した。実際に、その図はアンコール・ワットにぴったり当てはまる。現在では、模写ではあるが、水戸の彰考館に保存されている。仏教徒としてその聖地を目指した森本右近太夫と島野兼了。まさかアンコール・ワットがヒンズー教だとは知る由もなかったのである。