情報
@1995年年末はこんなんだった!!
タ・ソウでは入ってから出るときまで銃を持った兵士に護衛され心の中で「こっちには向けないで!!」とひたすら祈っていました。でも彼はとっても親切な人で、一人で来ている私のために写真をとってくれました。(こわがってごめんなさい!)
タ・プロームでは遣跡の中で迷子になり、これまた銃を持った兵士に道案内をされ出口までいきました。この頃は遺跡に銃を持った兵士がごろごろしていたものです。理由を聞くとタ・プロームは危ないからガードしているといわれました。いくらガードしているとはいえ近くに銃を持った人がたむろっているとそれだけでちよっぴりこわかったです。でもしっかり中で昼寝をしている私って・・・お気楽。
A1995年年末のバンデアイ・スレイとバンデアイ・サムエ

まだこの時はちょっと治安上問題があったみたいです。バイクタクシーの運転手のソウチャにどうしたら行けるか聞いてみたら、彼は警官を雇って行けると言っていたので大丈夫かなと思っていたら、そのとき居合わせた他のタクシーの運転手に“Crazy!”といわれてしまいました。命は惜しけど、その時の旅の目的の半分はバンデアイ・スレイのアプサラ(天女の壁画)を見ることだったのでどうしようか迷っていたら、たまたま同じゲストハウスに泊まっていたフランス人のカメラマンがアドバイスしてくれました。彼はその時開かれていたラーマーヤナ・フェスティバルを取材に来ていたのです。
「バンデアイ・スレイに行きたいなら12/28にしたほうがいい。その日は参加するダンサ一や取材人が大拳して行くから、警備がいつもより強化されている。それを逃すとちょっと安全は保証できないよ。」
そこで警官を80$で雇い、その警宮のオフロード用のバイクに3人(警官・バイクタクシーの運転手・私)でまたがり約1時間の道のりを行きました。
バンテアイスレイ、それは想像していた以上に優雅で美しく、素晴しいもので、あまりの美しさに言葉もなくただ立ち尽くすだけでした。
Bラーマーヤナ・フェスティバルとは
これはカンボジア初めての国際的フェステイバルで1995年年末から1996年始めまでアンコールワットで開催されました。ラーマーヤナとはもともとはインドの叙事詩で東南アジアに広くひろまり、人々に親しまれています。伝統芸能はラーマーヤナを基にしているものが多く、バリ島のダンスなどはほとんどこれがベースになっています。この時タイ、マレーシア、インド、ラオス、インドネシア、カンボジアのチームが参加し、国の威信をかけ盛大におこなわれました。
オープニングセレモニーを芝生の上で見ましたが周りのカンボジア人の熱気がすごかったです。特にカンボジアチームの演技のとき、神々の乗った山車が回廊を駆け抜け柱の合間から見え隠れしたのは、幻想的で素晴しかったです。
ただこの開催期間、シェムリアップの宿は全部満室で稼働率何と130%!ハンモックで寝た人、テラスで寝た人もいたそうです。
Cキリングフィールド、ツールスレーン
ここは本当に言葉に表わせません。あまりの悲惨さに直視することがとても難しい。ツールスレーンの壁に貼ってあった看板、それは囚人達への規則でした。全部は覚えていませんがこんな言葉が書いてありました。
「質問をするな。それは我々の時間を無駄にすることである。」
「私語を交すな。我々に無駄な時間を使わすな。」
たしかこんな感じで10項目はあったでしょう。壁一面に貼られた処刑される前に撮られた犠牲者の写真、処刑された直後の写真、二度と忘れることはないでしよう。
Dアユタヤについて
アユタヤはカンポジアでなくタイです。ここにもアユタヤ朝の遺跡がたくさんあり、昔ビルマとの戦いで多くの仏像が破壊されています。バンコクは騒々しすぎて疲れるのでアユタヤですごしました。列車、バスがわりとあるのでバンコク中心部よりゆったりとすごせます。トランジットに時間があったら行ってみたらいかかですか?