ペトラへ
9/7(金)
荷物をアンマンにおいたまま、手荷物だけでアカバに来ていたぼくは、目覚まし時計を持っていなかった。起きられるかなと思っていたが、4時に目が覚めてしまった。6時にならないと、ペトラHOTELの正面玄関が開かないので、部屋で待ちぼうけだ。
6:30、ホテルを出て、海岸沿いを歩いた。イスラエル、エジプトが紅海を挟んで向こうに見える。近い。アカバまで迎えに来ていたモハメッドは「アンマンのタクシーはアカバで乗客することができないから、もしもペトラで秘密警察に訪ねられたら、アンマン−ペトラを往復していると答えてくれ」と言っていた。この日もマシンガントークから一日が始まった。朝3時に起きてアカバに来たこと、工事中で幹線が通れず遠回りをしたこと、ペトラへの道が新しくなって走りやすくなったこと。山にはワシやハイエナがでること・・・目的地に早く着くことを祈るばかりだ。
モハメッドはしゃべり続けながら、山の高みへ上ってくれた。おかげでワディ・ラムを一望することができた。一面岩山と砂漠だ。モハメッドはアラビアンロレンス(ワディ・ラムを舞台に、第一次大戦、ベドウィン(砂漠の原住民)を率いて戦ったイギリス軍人ロレンスの物語。実話)の話もしていた。
ペトラに着いたのは10時。いよいよ目的の地だ。20JD(約3,400円)はヨルダンでも破格の高額だ。1.5リットルのペットボトル(当然、水)を買って、入り口から長い坂を越えて、切り立った岩山に挟まれた「エル・ハズネ」(エル・カズネとも読む)への一本道を歩いた。赤いマーブル模様の岩が雰囲気を醸し出す。この自然の驚異にドキドキせずにはいられなかった。途中途中にある遺跡すらかすんで見えるのは、この赤い岩山の奇跡のせいだ。20分ほど、この赤い奇跡を泳いでいくと、何かふと感じた。そろそろだ。切り立った崖の隙間から見えたものは、あこがれていた「エル・ハズネ」だ。走り出せば、この赤い波を抜けて一望できるのに、動けなかった。いや、動きたくなかった。一望してしまっていいのか?一歩一歩赤い壁の隙間を広げながら「エル・ハズネ」への道を感じてみた。これ以上の感動は言葉にならないので、描写はここで終えよう。ひとつ付け加えると、この赤い「エル・ハズネ」を目の前にした途端、ここを舞台にしたインディージョーンズのことなど頭から消えていた。(左下の写真は、エル・ハズネの内部。きれいなマーブル模様の岩を削っている。)
エル・ハズネを越えて、円形劇場の手前から、岩山の頂上に登ってみることにした。20分ほどかけて登った先には休憩所があって、現地のおじさん、おばさん、13歳の少女、17歳の女性がいた。
「マルハバ。イスミー、タロウ。アナ、ヤバーニ。」(こんにちは。太朗です。日本からきました。)
「マルハバ。キフィック?」(こんにちは。ご機嫌いかが。)
「クワイエス」(いい感じです。)
中東の人々はアラビア語にそれなりの誇りを持っていて、少しでも言葉を話すとすごく喜んでくれる。ぎりぎりの定型挨拶で彼らは少しでも身近に感じてくれたらしかった。彼らは家族ではなく、友達だと言っていた。13歳の少女は、ぼくのもつすべての物に興味を示している。「これは何?あれは何?」最初は質問責めだった。特にかばんに付けていたワイヤーキーにはひどく興味を持ったようで、かばんから外して見せてあげると、楽しそうにいじって遊んでいた。
「ちょうだい」
「だめだよ、旅行に必要なんだからさ」
「日本でまた買えるでしょ。こっちでは売ってないんもん。もうわたしのものよ」
「だめだってば」
「だめじゃない」
ニコニコしながら、かつ力強く話している13歳のこの少女が、とても印象的だった。おじさんが怒るふりをすると、その子もキャーキャー言って騒いでいる。なんだかとても楽しそうだった。おじさんからワイヤーキーを返してもらうと「食事でもどうだ」と彼らの昼食をわけてもらい、時間を共にすることにした。来年結婚するという17歳の女性を指さして「この子をもらってくれないか」とおじさんは言う。微笑むその女性の後ろで「私はもう結婚してるからだめよ」とうそぶいてはしゃぐ13歳の女の子。苦笑いするおばさん。静かで穏やかな時間だった。17歳の女性は言葉少なで、おしとやかなのに凛とした雰囲気を持っていた。イスラムスタイルだったことが一層魅力をかき立てているのかもしれないが、とても美しく思えた。
山を下って、通常のルートをたどった。ここの円形劇場はジュラシュとは違って岩をくりぬいて造っている。毎度の事ながら、この手の遺跡には脱帽するばかりだ。多くの現地人が話しかけてくる。「ラクダに乗らないか?」「馬は?」「ロバは?」「何か買って」近辺の国に比べて、断ればしつこく寄ってこないので、楽だったが・・・
その後ひたすら歩き、40分ほど山(といっても赤磐を切り立った岩山)を登るが、その目的は「エド・ディル」にあった。切り立った崖からのぞく「エル・ハズネ」の赤い遺跡と違って、「エド・ディル」は比較的白っぽい岩を削って造られていた。高みへ。高みへ。かばん一つでも登るのにヘトヘトになるこんな高みに現れたのは、堂々たる神殿風の遺跡。エル・ハズネ同様、中には何もないが、この威風堂々とした姿に人々は感動したに違いない。
「ガイドブックを片手に、写真で見たことのある建造物や風景を自分の目で見るだけ」。言ってしまえば、こんなちっぽけなことにぼくらは心を躍らせてしまう。貨幣価値も、文化も、気質も知らないままに、何の知識もない国を歩くことが、いつかぼくにできるのだろうか。勇気と無謀をはき違えず、旅行者の自覚のもとに、しかしすべての知識と感覚を現地でつかんで人々と触れ合う。こんな矛盾した旅行ができるとすれば、そのとき自分の目で見た物が壮大な何かであれば、ぼくはひどく感動するだろう。無駄かもしれないが、ぼくはいつも遺跡の前で目を閉じてみる。当時の姿を勝手に想像して、そこに思いを馳せてみる。今のぼくにできる精一杯だ。山を下って戻ってきた「エル・ハズネ」の前で目を閉じて、涼しく吹き抜ける風の音を体中で感じながら、ぼくは何百年もの時間を彷徨ってみた。
この遺跡から、荷物をおいているアンマンへ寄って、そのまま空港へ。午前3時の飛行機でミラノへ向かい、日本には翌日曜日の朝到着予定。イタリアでのトランジットを含めて、24時間の帰国時間で、何度も日記を読み返して、この旅行を振り返ってみた。