ヨルダンにてネボ山、死海へ

9/4(火)

 国境を越えてたどり着いたヨルダンのホテルは、広いだけの郊外にあるホテルだった。ドライバーに連れてこられたのだが、もう0時を回ろうとしていて、とりあえず一泊することにした。不要な冷蔵庫には腐ったパン。不要なキッチンは見た目だけで異臭が立ちこめ、シャワーはお湯が出なかった。明日宿を変えよう。

 朝9時起床。睡眠は7時間だが十分だった。相変わらず広いだけの部屋を実感しながら、ホテルを後にした。ふと見つけたホテルはダウンタウンのアル・リヤドHOTEL。7JD(ヨルダン・ディナール。約1,100円)で、洗面付き個室、共同シャワーでお湯が出れば悪くはない(ただし、without breakfast)。朝食に「アライス」を食べた。味付けされたすり肉をナンではさんで、オーブンでじっくり焼いた感じだ。外側はぱりっとしていて、中は肉の油でとろっとしている。かなりおいしかった。街に出るが、ふと道を訪ねた男性も同じ旅行客(聞いたことのない国だったので国籍不明)でいろいろ教えてくれた。一日観光の旅行会社まで紹介してくれたがこれは断った。ヨルダンの地図を探したり、換金を試みたりして昼の12時。結局英語版の地図ここでは見つからず、換金もできなかった。International Bankは、アメックスT/Cしか受け付けないらしい。

 この日の予定は特になかったが、9月はまだ暑いから死海には夕方行く方がいいと聞いていたので、それをこの日に当てることにした。イスラエル以来、これで死海は両国制覇だ。2年前はこんなに早くこのときが訪れるとは思ってもいなかった。アル・リヤドHOTELのバシャールという店主に、友人だというタクシードライバーを紹介してもらった。彼のタクシーに乗り込んだが、アンマンから出るのに許可が必要だ、といって彼のオフィスに行くことになってしまった。3,40分待たされたが、「55台のバスに許可証が25しかないが、取得できたからこれで数日平気だ」と言って、いろんな街のことを話しながら「いつでも呼んでくれ」と商売話が始まってしまった。日記に書くとあっさりだが、彼のトークはこれだけで30分だからたまったものではない。彼はマシンガン・トーカーだったのだ。この日22時に別れるまで、彼のマシンガンは弾切れしなかった。こちらが話そうとすると、すかさず打ち返される。しかも早口。最初に到着した聖ジョージ教会ではヘトヘトだった。

 聖ジョージ教会の床には、死海、エルサレムなど近隣諸国が色とりどりの石を並べて、貼り絵のように描かれている。なんだか単純に面白かった。次に向かったのは、ネボ山だ。モーゼがイスラエルの民を率いて、海を割ってたどり着いたシナイ山。そこで十戒を授かるが、一方神との契約を破ったイスラエルの民は40年間放浪を続けることとなる。その旅の終焉、モーゼが天寿を全うしたのがこのネボ山だ。この山からエジプトの方向を見下ろすと心が震えた。不毛の土地だからこそ、古来から人々は神を信じ、身をまかせ、信念を貫いてきた。神の名の下に、様々な偉業を成し遂げてきた彼らの伝説。その最たるものがこの砂漠の放浪だろう。そしてその終焉の地、ネボ山。海を割りたくなった。

 18時、ネボ山を下って死海へ。道はまるでイロハ坂だ。しかし、景色は砂、石、岩なので、多少updownのあるまっすぐの道はある種の不思議を醸し出していて、自分で車を運転したくなってしまった。死海は相変わらず面白い。長く浮かぶ気にはならないのに、面白くてたまらない。手の二倍ほどの石を拾っておなかに乗せてみた。とにかく面白いくらいに浮くのだ。今回は「死海の泥」を体中に塗ってみた。真っ黒だ。なんか気持ちよかった。

 死海からの帰り道。ドライバーのマシンガンは衰えるところを知らない。同じ事を何度も違う言葉で言い直すので聞き取れないときは助かるが、結局何が言いたいのかよく分からないときもあった。とはいえ、いつも気を使ってくれるいいやつであることは間違いない。観光地への行き方、食事やタクシー、バスの相場。結局最後は魚屋に連れていってもらい、選んだ魚を奥さんに料理してもらうことになった。調理方法はグリルでお願いした。米とサラダは「フリー」と言ってくれた。明日19時にホテルに持ってきてくれるらしい。人柄からすると下心はないと思われ、明日19時を楽しみに彼と別れた。

 ホテルでシャワーを浴びた。昨日は水シャワーだったから体を拭いただけだったので、気持ちがいい。大学を卒業して3年半。あのときと変わらないぼくがいる。今年で26歳。同年代の友人たちは家族を築いてゆく。会社で、旅先で、様々な人生観があることを実感してしまうこの頃。誰もが自分自身を求め、信じて、強くありたいと願っているはずだ。少なくともぼくは弱さをなくすために、いや隠すために、自らを主張し、正当化している。いろんな人に支えられて、いろんな場所でいろんな顔をしているちっぽけなmyselfを認められるのはぼく自身だけだし、それを称えることも、否定することもぼくにしかできないと思う。今これが「弱さ」だとはっきり言える。負けないように、枯れないように笑って咲き続けられるとしたら、それがたとえ強がりであっても美しいと信じたい。何年経ってもぼくは変わらないし、変われない。こんなことをふと考えてホテルのベランダに出てみた。夜風が埃っぽかった。

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