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@鎖国の時代に日本人がここに来てた?!
アンコール・ワット。「密林に埋もれ、発見された遺跡」と思っている人も多いだろう。
間違いではない。でも正しくもないのである。アンコール・ワットは1860年にフランスのアンリ・ムーオによって発見された。しかし、それまで誰からも忘れ去られていたわけではなく、カンボジアの人々はずっと礼拝地として大切に守ってきたのである。
さて、このアンコール・ワットは堀、参道、3つの回廊、中心部の五基の塔からなっている。堀を越えて塔門をくぐる。ずっと見たかったアンコール・ワットがそのさらに向こうに静かにたたずんでいる。回廊の壁画をぐるっと見るだけで何時間もかかる。760メートルもあるのだから、それでも「ひと通り」観たにすぎない。長い参道の途中には経蔵や聖池がある。池に反射するアンコール・ワットも美しい。いよいよ寺院の内部へ。
15段くらいの階段をのぼることになるのだが、ここで一瞬アンコール・ワットが見えなくなる。そして階段をのぼるごとにアンコール・ワットが出現するようになっている。効果的な設計である。アンコール・ワットではかなり急な階段をのぼらなければならない。上りはいいが、下りは怖い(左図)。聞いたことはないが、落ちて死んだ人もいるんじゃないかなあ。頂上から見る景色はすばらしい。本当に森の中にあるんだと思った。
さて、この寺院アンコール・ワットのうわさを聞き、平家物語に出てくる「祇園精舎」だと信じて、鎖国時代にカンボジアへやってきた人物がいる。森本右近太夫がその人である。彼は父・義太夫の菩提を弔いにやってきたのである。なぜそれがわかるかというと、正面中回廊に彼の文字が残っているからである。どうやら墨で書いたようである。第一回廊と第二回廊の間にある経蔵にも彼の遺筆(上図)がある。
その約80年後、徳川3代将軍家光の命により「祇園精舎」視察に来た島野兼了(長崎の通詞)は、このアンコール・ワットをインドの祇園精舎だと思いこんで、その見取り図を作成した。実際に、その図はアンコール・ワットにぴったり当てはまる。現在では、模写ではあるが、水戸の彰考館に保存されている。仏教徒としてその聖地を目指した森本右近太夫と島野兼了。まさかアンコール・ワットがヒンズー教だとは知る由もなかったのである。
A「僕の夢はね・・・」
アンコール・ワットで出会った少年は日本語で話しかけてきた。ついつい英語で返してしまったが、日本語の方がわかるらしい。日本語を勉強していると言っていた。日本人相手のガイドになりたいらしく、いろいろと案内してくれた。もちろん「森本」のことも知っていた。とてもいい子だった。(男の子だよ)
「またいつかここへ来よう。」そう思っていた僕は、その少年に名前と住所を聞いた。彼の名は「ポール」。カタカナでそう書いた。住所は書かない。改めて住所を尋ねた。「ない。」「え?」彼はここに住んでると言った。アンコール・ワットに、である。家がないんだと思った。「お父さんとお母さんも?」と聞いた。彼は言葉を詰まらせた。殺されたのである、ポルポト派に。僕は苦しくなった。どうしてこんなことが・・・!
「ポール」という名前も観光客が付けてくれたんだろう。カタカナでどう書くかは自分で勉強したんだろう。「ポール」は日本語を勉強する本が買いたいと言っていた。
「ポール」には家族がいない。住む家がない。本を買うお金がない。でも彼は一生懸命生きている。「日本人相手のガイドになりたい」というすばらしい夢を持って。この少年の人生観は僕のそれとは明らかに違う。自分を見つめ直す旅となった。
Bこんなところで修行なんて。
カンボジアへ行っていいホテルに泊まろうなんて、成金じゃないんだから。若人はゲストハウスで十分です。共同シャワー・トイレ。部屋にはベッドのみ。十分十分。さて、シャワーについですが、お湯が出ないんです、安宿は。日中はいいよ、暑いから。ほんとに暑いから。でも、じめじめしてる。湿度は日本に負けません。絶対シャワー浴びたいと思う。でも、夕方6時頃はたいがい雨が降る。スコールというほどではないですが・・・雨が降ると地面が冷える。地面が冷えると涼しくなる。涼しくなると水シャワーなんて浴びれません。寒い寒い。でもお湯が出ない。かといって日中は観光するから、シャワーは夕方浴びるしかない。「耐えろ」ということです。僕は面倒くさいから、タオルで体を拭いて終わりの日もあった。
C高速艇は天国と地獄。
カンボジアの首都プノンペンから、アンコールの地シェムリアプへ行くには、船でトンレサップ川とトンレサップ湖をのぼっていく必要がある。飛行機やヘリコプターもあるが、船で十分。船には2種類あって、大型なら5時間半。小型ならちょっと速くて4時間半。
「大型の高速艇」と言えば聞こえがよくて、快適そうであるが、席と席の間は狭く、前後もきついから、足もななめにしなければならなかった。僕の足が長いせいもあるが、狭いことに間違いはない。しかし、大型の場合、甲板(屋根)に出れるという特典がついている。それなりに早いから、心地いい。景色もすばらしい。大きな湖だから、水平線も見える。水上の家。木も浮いている。一度味わってほしい。この絶景を。
たいがい、帰りが小型。高速艇というより「ボート」という感じ。これは席から動けない。最悪である。速い分水上を飛ぶように走る。バンバンと打ち付けられる船とお尻。着く頃にはお尻が麻痺していた。