チチェン・イツァ

10/10(金)

朝7時起床。とはいえ、蒸し蒸しした部屋であまり寝付けない。出かける用意をして、フロントでエアコン付きの部屋に換えてもらった。残り2泊の追加料金で100ペソ(約1,130円)。何より昨日までの部屋には便座がついていない(便器のみ)のが最大の欠点で、これが改善されただけでも大きい。

朝9時発のバスに向けて、8時頃宿を出る。朝の散策も良いものだ。出店で朝ご飯を食べて、予定どおりにバスに乗り込む。相変わらず必要以上にきいている冷房に死にそうになりながら、チチェン・イツァに着いたのは12時頃だった。

7世紀頃栄え、一度衰退して以降、10世紀頃にトルテカ人と合流して、再度栄えたチチェン・イツァ。ここに来た目的は、人型生け贄台のチャクモール(チャック・モール)である。はっきりした理由はないが、チャクモールにはどこか惹かれるものがあって、これだけでも観たいと以前から思っていた。

入口から歩いて、はじめに見えるのがククルカン神殿。メインのピラミッド(エルカスティージョ)だ。とにかく全体を観てみようと思って、頂上に登る。91段(25m)の高さだ。91段×4面=364。これに頂上の1段を追加して、1年の365日となる。マヤ文明の高さを感じる。

半分くらいまでは余裕で階段を上るが、半分を超えるとなぜか突然怖くなる。「これって高いよなぁ。突風が来たら死ぬよなぁ」などと考えながら登っていた。一気に駆け上がったため、頂上に着くと息が切れる。ここから見える景色はすばらしいが、あちこちで「わーすごーい。きれー」「こんなのはじめてー」と日本語が飛び交っていて、興醒めだ。別にあまのじゃくなわけではないが、3日前のティカルと比較するとやはり見劣りして、そこまでの絶景でもない。ただ、自力で登れること(ティカルW号神殿は、専用の木製階段を登る)、遺跡全体が見渡せること(ティカルでは密林で遺跡のてっぺんしか見えない。それがいいのだが)から、当時へ向けた想像力はかき立てられる。

ククルカン神殿を降りて、球戯場へ。勝った方のリーダーが栄光を捧げるために生け贄にされたようで、首を切られてそこから7匹の蛇が血となって吹き出し、その先から植物が芽生える壁画があった。これで勝つために試合をした彼らの心境やいかに・・・。また、向き合ったふたつの壁が内側に傾いているため、手をたたくと音が反響して面白い。試合の声や音を迫力的に伝えるためらしい。次に聖泉セノテへ。石灰岩に雨がしみこんで、いずれ陥没してできた自然の泉で、ここには生け贄や財宝が投じられたらしい。チチェン・イツァの「チチェン」とは、「泉のほとり」という意味があるらしく、ここは遺跡の源である。

ククルカン神殿に戻ると、神殿内部に入るために人が並んでいる。中にチャクモールとジャガーの像があるらしい。「お」と思って並ぶが、内部の通路が狭いらしく、入替制での拝観なので10分ほど待つ。中は湿気でムンムンだ。とても暑かった。2,3分ほど階段を上がるので、汗だくになってしまった。祭壇にチャクモールとジャガーが置かれている。とてもきれいに残されているが、ぼくの探していたチャクモールではなかった

神殿内部を出て、戦死の神殿に向かうと、頂上の小さな像がふと目に入った。あれだ!探し求めていたチャクモールだ!喜んで神殿近くまで行くが、なんと神殿の階段を上ることができない。。。そんな酷な・・・と思うが、どうしようもなく、遠くから眺めるに留まってしまった。チャクモールは、神殿内部をはじめ、いろんなところにあるのだが、戦死の神殿の上にあるチャクモールが観たかった。なぜそうなのか、それはわからないが、いつ頃からか「これこそチャクモール」そう思っていたのだ。

その後、旧チチェン・イツァを周り、再びククルカン神殿に登って景色を楽しむ。気が付けば、バス出発までの4時間30分はあっという間に過ぎていった。帰りのバスも約3時間。相変わらず冷房は限度を知らない。

19:00過ぎにカンクン着。遺跡で出会ったM君(同じく一人)と夕食を共にして、お互いの旅行話に花を咲かせた。宿に戻ると、シャワーを浴びた直後に眠くなり、ベットに倒れ込むように寝入ってしまった。


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