死海へ

11/23(火)

 朝3時。眠い。ジーパンの下に水着を着て、ツアーへ。ホステルの中で20分ほど待つ。やはり日本人はいない。深夜の旧市街を歩くとそれはまるで廃墟のようだった。あんなににぎやかな通りが、怖いくらいに静かである。ダマスカス門へ。門を出たところでバスを待つ。ここでも30分ほど待つ。全部で30人くらいいるが、日本人はまったくいない。あー海外なんだなーって思った。ようやく来たバスには2人の日本人が乗っているが皆知らんぷり。

 1時間半かけてマサダ山へ向かう。そして山頂まで登山だ。「適当なところで日の出を見るんだろう」程度に思っていたが、結局山頂へ。1時間弱登りつづけていた。かなり辛かったが山頂での景色はすばらしい。死海を見渡すと、その向こうの山から日が昇る。感動した。そこに何かしらの遺跡があるからちょっと歩いてみた。そして、下山。疲れで足が震える。

  再びバスに乗り込み死海へ。「これが死海かぁ」「浮くのかなぁ」とちょっとワクワク。服を脱いで恐る恐る死海へ。感覚は普通の海だ。ぬるいような冷たいような。ただ、波がないので、砂浜はなく大きなごつごつした石の上を奥へと歩いていく。足がとどかなくなると、ぷかぁっと浮いた!勝手に仰向けか俯せになる感覚だ。すごく浅いところでも両足を水面に持っていくと浮いてしまう。本当に不思議な体験だ。浮く。海(湖)の色は濃くてきれいな緑色だ。立っていて足がきれいな肌色に見えることを考えると透明度は高いはずだ。でも他には何も見えない。どちらかというとエメラルドに閉じこめられた感じがする。死海に来て浮いてみたら次はなめてみようと思った。辛いとかしょっぱいとかそういう感じを超えていた。軽い毒物を舌にあてたような刺激だ。「目に入ったら終わりだなぁ」などと考えながらバシャバシャやっていたら目に入ってしまった!「しまったぁぁぁ!」と思ったが目をぬぐう手がない。我慢してゆっくり外に出て(浮いてしまうから泳げない)水で洗うしかないのだ。本当に痛かった。「キンカン」が目に入った感じだった。海から上がると、首筋がやたらざらざらしていて塩が付いているのがわかる。体が乾くと妙にべたべたする。コーラをこぼした感覚である。無料のシャワーで塩を洗い流して、再びバスへ。

 次に、死海沿いにあるエン・ゲディ国立公園へ。旧約聖書によるとダビデがサウロの手を逃れて身を隠した場所らしい。そんなことまったく関係なく自然にあふれた公園だった。角がナイフ見たいな鹿がいる。歩いてたどり着いたは圧巻。実際に見て感激する景色はたくさんあるが「やすらぎ」を感じたのはこれが初めてかもしれない。水と緑が反発し合いながら、しかし不協和音がまったく感じられない。むしろ、数々の絡み合いがひとつとして穏やかに、そして静かにたたずんでいる。そこには頼る者すべてを受け止め、バランスを乱す者すべてを圧倒する何かが感じられた。自然の凝縮とも言えるかもしれない。写真ではまったくその姿をあらわせないのが残念だが、むしろ写真なんかとるべきではなかったのだろう。

 公園を出るとバスで一緒だった日本人(Iさん)が話しかけてきた。Iさんの持っている「地球の歩き方」は2000年版で9月に発行されていた。僕は、気付かずにひとつ古いバージョンを持っていたので新しい情報をもらった。再びバスでクムラン(死海写本が見つかった洞窟)を通り、誘惑の山、聖ジョージ修道院へ。誘惑の山とは、新約聖書によると、キリストが悪魔に導かれて誘惑を受けたとされる山で、聖ジョージ修道院は山を切り立って建設された見事な修道院だった。 早朝から本当にハードなバスツアーだったが、一人では回りきれない様々なスポットを回れた。

 旧市街のホステルに戻って中央バスステーションへ。翌日にエイラット(最南端の、紅海に面したリゾート地)に行くためのバスチケットを手に入れた。エイラット行きだけはオフシーズンがないので(世界中の観光客が集まる)、バスが指定席になる。旧市街に戻ってぶらぶらしていると、Iさんと再会。夕食をご一緒して歩いていると、MさんとSさんにもばったり再会した。軽く散歩していたが旧市街の中は7時ごろには店じまいで、仕方なく喫茶店(単なる汚い店)でハーブティーを飲んで情報交換をした。二人はエルサレムが最後の日だからもう少し歩くというので、別れてホステルへ戻る。長い長い一日だった。

5日目へ