テヘランにて
12/17(火)
8:05発テヘラン行きの飛行機に乗るため、余裕を持ってホテルを6時に出ることにしていた。起きたのは朝4:55。旅先ではいつものことだが、目覚ましの数分前に目が覚めるのは不思議だ。5:50。「あと5分でタクシーが来るぞ」宿のおじさんが部屋にやってきた。6:00にタクシーを呼んでおいたのだ。飛行機1時間25分とバス16時間では差が大きすぎるし、帰国日も近かったので、決して乗り遅れるわけにはいかなかった。仮にタクシーが来なくても、道に出て探せる時間を持っておいた。「空港まで30分だ」と宿のおじさんは言うので、8:05発の飛行機なら十分すぎるくらい早い。タクシーは6:00にやってきて、空港に向かった。ところが、なんと空港には6:10ちょっと前に着いてしまった!しかもチケットの表記を見誤って、8:05ではなく8:50だったのだ!「待ち時間長すぎ」と思うが、どうせ起きていても何ができる時間ではないので、とりあえず空港でこれまでの旅程を振り返っていた。
テヘランには、10:30ちょっと前に到着した。空港タクシーはきちんと受付を済まさないと乗れず、しっかりマージンを取られてしまった。市街のエマーム広場まで30,000リアル。交通規制で途中降ろされてしまい、地図を見て歩くことにした。シーラーズと比べ物にならないほどの排気ガスだ。一週間いたら肺が黒くなってしまいそうだ。地図を手に歩いていくと、片言の日本語で男が話しかけてきた。日本に2年いたという。それにしてはあまりにも日本語が・・・。今どこにいるのかを教えてもらって、再びひとりで歩いていると彼がバイクに乗って追いついてきた。
「乗る?」
「ありがとう!」
郵便局まで連れていってもらって、非常に助かった。AirMailを出して、少し裏道に入ってみるとguesthouseを発見。部屋を見せてもらうと、洗面所付き、トイレ・シャワーが別で50,000リアル。良くも悪くもないかもしれないが、部屋がきれいなのでここに決めた。隣接したレストランがあったので入ってみると、食べてみたかったモルグ(鳥)を発見。13:40、お腹いっぱいになって街中へ出かけることとした。
外に出ると、バイクが止まった。
「どこに行くんだ?」
え?と思った。テヘランには流しバイクもあるんだ。他の街にもあったのかな。。。彼に「絨毯博物館へ」と伝え、バイクの後ろに座った。彼はアフガニスタンの人間だと言っていた。到着すると、「日本人が好きだからお金はいらない」と言う。イランは反米政策を柱とするイスラム共和国という独特の組織体に属している。その分親日に傾いているのか、無信教なところが逆に受け入れやすいのかわからないが、いずれにしても日本人だと言うととても親切に接してくれる。また、日本の話になると(話していると結構日本の話になる)、トヨタ、ソニー、中田が彼らの口から自然に出てくる。日本ブランドはまだまだ健在だ。(ちなみにイチローは誰も知らなかった。というより野球に興味がないらしい。)
さて、絨毯博物館はというと「3日間休館だよ」と言われてしまい、彼のバイクでそのまま折り返して宝石博物館へ向かった。Melli銀行の地下金庫が博物館になっていて、飛行機のチェックインよりも断然厳重なボディチェックを受けて、カメラも手荷物と合わせて入口の預かり所に預けられてしまった。身軽になって暗い場所を降りて金庫の中に入った。銀行の金庫なんて生まれて初めてでなんだかドキドキする。いきなり入口で目に入ったのが、宝石でできたベッド。幾千の宝石が埋め込まれている。奥には一軒家程度の薄暗い個室に所狭しと宝石づくしのペンダント、ティアラ、剣、盾、杖、王冠などが飾られている。128カラットのダイアモンドもすごいが、ぼくが見とれてしまったのは、5万以上の宝石を利用して作られた地球儀だ。
貼り絵のように、大小さまざまな宝石が陸や海に見立てられて作られている。例えば、グリーンエメラルドは海を表し、数え切れないくらいちりばめられている。日本もなんとか確認できた。とにかく圧巻。ぼく自身、権力には対抗する側の人間だと思っていたが、これだけ宝石を身に纏った王の前ではひれ伏してしまうだろう。いつの時代、どの国においても富が国力を測る物差しであり、そのために王が巨万の富を背景に巨大なモニュメントを築いたり、金銀財宝を集めたことはうなづけてしまう。
宝石博物館を出て、バザールへ。キャビアでも買って帰ろうかと入口にたどり着いたとたんペイマンという21才の若者が寄ってきた。とてもきれいな英語で話しやすかったので、避けることなく歩きながら話していると、ペルシャ絨毯まで連れていくと言い出す。イスファハンで身につけた(?)審美眼を確かめてみたくなって、寄ってみることにした。そこには彼と同じ店で働くメルダンという男(推定32才)がいて、絨毯のことをいろいろ教えてくれた。そして、いろんな種類を見せてくれた。テーブルに置いて花瓶台にするときれいそうな100%シルクのペルシャ絨毯を日本人はよくおみやげに買うらしい。100ドル程度で持ち帰りやすく、贅沢な感じだからだろうか。ぼくはというと、100年でも使えるウール製で、柄は遊牧民タイプが気に入っていた。幼なじみの家に「ペルシャから持ち帰ったよ」と送るつもりだったので、買うつもりで値段交渉した。イスファハンでの話と周りの相場を考えれば上手に買った方だと思うが、その真偽は如何に・・・?ただ、手持ちのお金がなかったので、メルダンと一緒にぼくが滞在しているホテルに行くことにした。彼の英語はとても聞き取りやすく、話が弾んだ。(英語が話せるからこそ疑わしいのかもしれないが、疑心暗鬼になっても仕方がないし、騙されたらその時はその時だ。)メルダンというのは"sun give"という意味らしい。太朗は"shine as sun"という意味だと返すと、「同じだな」とふたりで笑ってしまった。また、彼の家はテヘランの北部にあるらしく、5kmの敷地にプールが付いているらしい。「今度来るときは電話をくれよ。泊まってもらいたい」と言う。彼らにはたぶん「社交辞令」という感覚はあまりないから、本当に電話したら快く迎えてくれるだろう。
いつもそうだが、いつの間にか、ぼくは今いる国に気持ちよく流されてしまう。言葉にならない穏やかな感情がぼくを満たし、少し前までいた日本がテレビドラマのように非現実的記憶に閉じこめられてしまう。この感覚がある以上、なんだってできると思える。限られた経験を底力にしなければ、と思って、最後の夜を過ごしていた。