イスファハンは世界の半分

12/14(土)

 7時頃目が覚めた。チェックアウトをしようとしたら「12時まではいいよ」と言われて、とりあえず荷物を部屋に置いてイラン航空に行った。目的はリコンファームと、シーラーズ−テヘラン間の航空券購入だ。これが買えないと、シーラーズ−テヘランを16時間もバスに乗らなければならなくなる。イラン航空に着くと、
 「今日はシステムがダウンしていて、イスファハンじゃ何もできないよ。」
 「え・・・?」
 今夜バムに行く予定だった。バムにはイラン航空がなくて、シーラーズで翌日便の購入とぎりぎりのリコンファームをやらなければならない、ということだ。リコンファームはともかく、航空券が買えない(変更できない)のは痛すぎる。こまったなぁと思いながら、エマーム広場へ。昨日とは雰囲気が違う。同じ場所かと思うほど、店がずらっと並び、活気がある。まずは郵便局へ向かうが、ここで日本語の流暢な青年に出会って、周辺の工芸品をいろいろ案内してもらった。象嵌細工の作り方なども見せてもらった。彼の名はハミッド。フランス語、英語を上手に使い、母国語がペルシャ語という最低でも4カ国語を操るすごい青年だ。後で彼が出入りしているペルシャ絨毯屋に行ったが、そこに来たカナダ人に英語、フランス人にフランス語、そしてぼくに日本語でペラペラと話しているのには感心した。しかも日本には来たことがなく独学らしい。今、イランでは日本VISAがほとんどとれないと言っていた。

  12時、一度宿に戻って、チェックアウトを済ませた。バム行きのバスチケットはまだ届いてないらしく、「夕方には持ってきてもらうよ」と受付で通訳の軍人(昨日とは別人)に言われて、バックパックだけ預けて再びエマーム広場へ。13:00に会う約束をしていたハミッドに、大衆食堂っぽいところに連れていってもらった。チェロウ(イランご飯)とホレシュ(シチューっぽい)、コーラ、ヨーグルト(例の酸っぱいやつ)で10,000リアル(156円)は安い。いろいろ教えてもらってるし、年も近いので「おごろっか?」と言うと、「いーよいーよ、自分のは自分で払うよ」と笑われてしまった。本当に日本語がお上手なことで。。。さて、食事だがこれがおいしい!そして、再びヨーグルトに挑戦。。。だめだ、まずい・・・。とにかくおなかいっぱいで大満足だ。

 ハミッドが出入りするペルシャ絨毯屋に行って、絨毯のことをいろいろ教えてもらった。本当に良い物は当然高く、50年でも60年でも保つらしい。しかも使えば使うほどいい色になっていくためか、年季が入っているものは値が上がる。同じ材質で20年前の絨毯をみせてもらったが、とても味わい深い色だ。(という気がした)

 15:00、モスクへと向かったが、ハミッドはお祈りがあるという。シーア派は一日3回朝昼晩にお祈りするらしい。時間は人によってまちまちで、彼は2〜3分だと言っていた。ちなみに、スンナ派は一日5回らしい。さて、ひとりになって、ふたつのモスクとアーリー・ガープに行くこととした。まずは、マスジェデ・エマームへ。半円のドームが無数に重なり合っていて美しい。上を向いて歩き続けると、青いドームがとてもリアルで、イスファハンの魅力のひとつにようやく触れた気がした。モスクを出ると、ひとりの男が話しかけてきた。「なんでこっち(マスジェデ・エマーム)にはミナーレ(尖塔)が4本立っていて、あっち(マスジェデ・ジェイフ・ロトゥフォッラー)にはミナーレがないと思う?」といきなり質問だ。わからない、と言うと「ミナーレが立っている方が男性用で、ないのが女性用だ」と答える。答えになっていないが、本当のことならこれはこれで知識になったかなと思って覚えてしまった。

 次に、その尖塔のない方、マスジェデ・ジェイフ・ロトゥフォッラーへ。入り口で、モハメッドという別の男が話しかけてきた。ハミッドに引き続き流暢な日本語だ。「ぼくはガイドじゃないし、何かを売る気もないよ。イランのよさを知ってもらいたい」と言っていた。彼は「イラン人だって、宗教にガチガチにならず、恋だって普通にする」とか「女性は頭にスカーフを巻かなくなるだろう。たぶん5年もすれば革命が起こると思う」などと言っていた。ぼくが「他にも日本語の上手な人に会いましたよ」と言うと、「彼らは日本人に話しかけて自分の親戚の店に案内したり、店のノートにコメントを書かせて他の日本人を安心させてるんだ。そういう手を使うから、彼らのことが私は嫌いだ。言葉は、『何のために』勉強しているのかが大切なんだ」と辛辣な言葉が返ってきた。モハメッドは店の名前まで挙げたので、彼の話を聞きながら、ハミッドたちのことを話してるんだなと思った。モハメッドのこともハミッドのことも、ぼくには信用できたし、どちらも疑いたくない。今までは肩肘張って、騙されまい騙されまいといろんな国に接してきたけど、でも今は、ぼくがこの目で見たもの、この耳で聞いたこと、そして感じたことがすべてであって、それを大切にしたい、とそう思う。ふたりとも信用できるなら、彼らが相容れなくても、ぼくは彼らふたりとも信用したい。いろいろ話していると日も暮れそう(冬だから早い)になってしまったので、とりあえずモスクに入ることにした。内部はドーム(礼拝堂?)があるだけで、誰もいなくて足音だけがやけに響く。手に持っていたガイドブックを落としてみると「ダーンダーンダーン」と響きわたる。無性に声を響かせてみたくなって、oh-ooh-lalalaと歌ってみた。気づけばメロディーは、ミスチルの「ALIVE」と、安全地帯の「La-La-La」だった。とてもきれいに響きわたって、気持がいい。

 気持ちよく外に出て、アーリー・ガープ宮殿へ。出てきたモスクの正面向かいに位置し、エマーム広場の西に面している。アーリー・ガープは、エマーム広場が見渡せるイラン初の高層建築で、シャーがエマーム広場で行われるポロの観戦を楽しんだと言われる。ふたつのモスクと広場を眺めて、「うわぁ」と言っている自分に気づいた。この時、イスファハンの魅力にとりつかれていたのかもしれない。

 宮殿内を少し歩いていると、さらに上に上がる階段があって上ってみると、不思議な形の穴がいっぱいあいた部屋にたどり着いた。この穴は音がきれいに共鳴するよう作られているらしく、音楽室のようだ。不思議な空間だったし、close間もない時間帯で薄暗闇、ひとりぼっちということも手伝って、なんだか怖くなってしまった。

 宮殿を出ると、モハメッドが待っていた。「イランのすばらしさを教えてたいから」と。ハミッドとの約束があることを伝えると、「ここで待ってるよ。急がなくていいよ」と言うので、そうすることにした。ハミッドがいるペルシャ絨毯屋へ行って、チャイをごちそうになりながら少し話した。そうするうちに、まだ旅行は先があるとわかっていながら、「ペルシャに来たらペルシャ絨毯だろう」と玄関マットの大きさの絨毯(シルク&ウール)を買った。ありふれたデザインだからこそ、魅力的な絨毯だった。そして、あえて店にある「ノート」にコメントを書いておいた。「ハミッド君ありがとう」。

 モハメッドとの約束は少し遅れてしまったが、彼は待っていてくれて、工芸品の裏方をぼくに見せるためにいろいろ周ってくれた。どれも、すべてはイスファハンで作られて、イラン国内・海外へと売られるらしい。工芸人はイスファハンで修行し、ここに住みつくらしい。だからこそ、ここにはいろんな物が集まるのだろうか。「イスファハンは世界の半分」と言われる由縁の一端を垣間見た気がした。

 最後に、モハメッドはおいしいデザートをと言って、「フェレニ」の屋台へ連れていってくれた。店に着くと、「カケゴト好き?」と聞いてくる。じゃんけんだ!と思って"OK!"と即答。じゃーけーんポン!勝った!
 「やったー!」
と思わず叫んでガッツポーズをしてしまった。フルーチェっぽくておいしい。材料は、米・かたくり粉・牛乳で、それにブドウの密をかけているらしい。

 19:00前。急いでホテルに戻ったが、届いているはずのチケット(バム行き)はない。受付は「だめだ」という。そんな・・・いまさら・・・。あわててシャワーを浴びさせてもらって、バスターミナルへ。バム行きのチケットは売っていないらしく、中継地ケルマンに向かうことにした。37,000リアル(580円)。待合室で、10才くらいの少女が話しかけてきた。警官のお父さんと、お母さん3人でいたが、彼らは全く英語が話せない。身振り手振りでいろいろ話しかけてくるので大変だったが、なんだか楽しかった。ただ、この少女に苦しめられるとはこの時点では夢にも思わず、長い一日を終えることなく夜行バスに乗り込んだ。

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