ハプニング

1. 「入ってます!!」〜トイレ編〜

  中国のトイレは、排出行為一点のみを重視した非常に簡易なトイレでした。当然、座っている姿を隠す役割をする扉の存在など不要です。トイレットペーパーを備え付けるなんてもってのほか。おかげで私と中国人と向き合ってお互いがウンコするという大変貴重な経験もさせていただきました。またたとえ扉があっても壊れていることが多いので扉をきっちりとつかみながらしなければなりません。中国人は確認なしで入ってこようとするので一瞬たりとも気を抜くことは許されません。
  中国人はマナーがなっていないよなと中国を旅行していて常々思っていましたが、日本人旅行客が多い宿に泊まっていたときに,日本人には開けられないだろうと油断して壊れた扉をつかまないまましていたられた、確認もされず開けられたことがありました。油断大敵です。日本人も同じでした。その開けられたときに私が発した言葉は,「あ!!」。 人間あわてたときには何も考えられないのだなあとつくづく思います。あとで、私のトイレの扉を開けた日本人に済みませんでしたと謝られましたが、「いいえ」、としか言いようがありませんでした。
  観光中にもよおしてきたらやはり高級ホテルのトイレですることをお勧めします。ただホテルに入るときには汚い格好でいると入れてもらえないので、さりげなく宿泊客を装いましょう。
  あと電車に乗っているときには急ブレーキに注意しましょう。動いている電車の中で、掴まるところもなくするのはなかなか難しいです。急ブレーキを掛けられて体勢を崩し”物”に触ってしまうなんてことはないように気をつけましょう。(えっ!?俺はそんなことしてないよ。まさか、そんな、ねぇ?)  

2.「やっぱりおまえもか!!」〜犯罪予備知識〜

  中国・桂林は外国人観光客であふれています。その旅行客をねらっての犯罪はやはり数々あります。その手段として、@掛け軸を高値で強引に買わせる、A料理屋につれていかれ、あとで法外な値段を請求されるケース、B一発何元で射撃しないかと言われ一度打ち出すと止まらない銃を持たされてしまう,ケースなどです。だます方は日本語を巧みに使って陥れようとします。
  私が彼とであったのは,七星公園を観光中のことでした。彼は怪しい日本語を使って私に近づいてきました。私は2週間日本語を喋っていなかったのと、中国に来た目的の一つである「〜あるよ」という日本語を話す中国人を捜すということのため彼としばらく話をしていまいました。しかし、彼と話をすると初めは怪しい奴だと思っていたのが、彼は一児の父親で子供を養うのは中国では大変なことであること、毎日、日本語を夜遅くまで勉強していること、将来は考古学者になって中国の遺跡を発掘してみたいということ等を聞くにつれ、こいつはよい奴なのではと思うようになりました。現に、日本語の教科書を見せてもらったら、びっちりと勉強しているあとがうかがえます。私に話しかけたのは少しでも日本を勉強するためで、私が難しい言葉を言うとメモを取ったり、会話中にも花や木をさしてあれは何とか質問して必死に日本語を勉強しているんだなと伝わってきます。それで長い間話をしていたる、彼が私に、家に来てゆっくりしていかないかと聞いてくるので、私は中国人の家に招待されるのは初めてだったので、彼の家にお邪魔することに決めました。彼の家は、日本にもありそうな立 派な家。玄関の扉が大きいのが印象的でした。そして驚いたことに壁には辺り一面掛け軸が掛かっていました。聞けば彼の父親は高名な書家とのこと。いろいろと掛け軸の説明をされましたが私の心の中は−100℃。冷め切っています。「これ400元(5200円)安いよ。」そんなことをいわれても聞く耳持たずです。出されたアメとお茶をもらって速攻で家を出ました。やはり簡単に人を信用しては行けないのです。特にここ桂林では。
  桂林を出発する日、電車の時間まで余裕があったので町をうろちょろしていたら偶然にも彼とまた出会いました。今度は一緒にお茶を飲みに行こうといわれました。もう日本語は話したくありません。英語で一方的に話して最後に”Leave me alone+少々の悪口”お別れしました。
  人と人のふれあいを大切にするのも良いことだと思いますが、相手を一方的に信頼してしまうのもどうかなと思います。人を見る目がない内はあまりつっこんだ友達関係を作るのは良くないと思いました。

3.ホテル編

 中国でホテルを見つけるのは比較的簡単です。予約なしでも全然平気です。ですが、上海のように大都市であると貧乏旅行者にとって安いホテルが限られてしまいます。上海だと貧乏旅行者の定番ホテルである浦江飯店に泊まれないと周りのホテルはめちゃくちゃ高いので要注意です。浦江飯店についていえば一番安い部屋は料金表にはドミトリーの55元(96年)と表示されていますが、料金表に載っていないのもあります。このホテルで一番安いのは”廊下”といわれる場所です。文字通り廊下で寝るのですが、一番安い部屋がなくても1ランク高い部屋に泊まるのではなくて、「ローカで寝たい」(日本語のローカで通じます。)といえば、たいてい空いているのでここで寝ましょう。大体30元くらいです。
 高級ホテルに泊まろうとしている人は汚い格好でホテルに入ろうとするとドアマンに足止めを食らいます。中国の高級ホテルはいわゆる「租界」の名残ですので、外国人らしい服装で入りましょう。私はトイレを借りるだけなのに何度も足止めを食らいました。気をつけましょう。サンダルで高級ホテルに入るのは言語道断、まず無理です。

4.ワタシ中国人アルヨ〜観光編〜

 中国には外国人料金というのがあります。これは観光料金。鉄道料金、宿泊料金等が中国人料金の約3倍の料金になるということです。この金額は旅行者にとって大きな負担になります。しかし、唯一中国人料金しか払わないで済むというのがあります。それは観光料金。普通の観光施設を観光するときには、まず券売所でチケットを買うことになるのですが、この券を売っている中国人をだませたられた、中国人料金で観光することができます。当然中国語を上手に話すことが要求されますが、「一張(一枚)」とかなるべく簡単な中国語で買おうとすれば、中国人料金のチケットをgetできます。その券売場の係の人に話しかけられたらアウトですが、そんなことになったら、すでに入場している中国人をさして、「あいつは外国人なのに中国人料金で入場している。なぜ私はだめなのか」といって関係のない人を巻き込むぐらいの気持ちで中国人料金のチケットを手に入れましょう。実際にやってみて無理だということを私は知りましたが、観光券を買うのに30分くらいはもめてみるのも面白いと思います(時間に余裕があれば)。あのとき、中国人料金のチケットを手に入れるために巻き込んでしま った中国人学生、ごめんね。君の慌てふためく姿を見て爆笑してしまいましたが今考えると少しひどいことをしたのかの名と思います。

5.鄭州大走査線/陳宝・陳浮を追え!〜鉄道編〜

 私は鉄道に乗る前に必ず買っていた物があります。それはノートとペンです。中国の鉄道は広大な大陸を走っているため、移動時間10hを越えるのは当たり前、電車の中で2泊3日過ごすこともあります。そんなときに周りにいる中国人と筆談でもすれば、暇つぶしにもなるし中国語の勉強にもなり、一石二鳥です。
 陳宝と陳浮にであったのも電車の中でした。私は上海から鄭州までの16時間することもなく、自分の隣の積の人と筆談をしていました。すると外国人が珍しいらしく車両中の皆が私の周りに集まります。その中に陳宝と陳浮がいたのです。彼女らは私と飽きることなく筆談をしてくれました。筆談をしている中で私が向かう先である鄭州に彼女たちは住んでおり、鄭州は物価が安く、食べ物はおいしい、良い都市であることを教えてくれました。(私が鄭州にいったのは、鄭州が黄河文明発祥の地であるためであるため。しかし、鄭州はあまりにもマイナーな都市で、観光していて、日本人どころか外国人は一人も見かけませんでした。)彼女たちとは10時間くらい筆談をしました。そして、鄭州についたとき、彼女は私によい宿泊先を教えてくれ、駅でお別れをしました。私は教えてくれたホテルが少し高いと思ったので、自分で探して、別のホテルに泊まることにしました。これは失敗のもとでした。
 鄭州を観光していて、やがて私はどうしても、もう一度彼女達に会いたいと思うようになりました。しかし町を探索してみて、割と小さな都市であると思ったので、ウロチョロすれば町中で偶然に会えるかなと思っていました。しかし、ここ鄭州は人口500万人の都市、会えるはずがありません。
 それを知り、仕方ないかと思い、中華料理屋で彼女達とした筆談のノートをぺらぺらを見ていたら、「彼女たちは、教えてくれたホテルに電話して、私を観光案内してくれるという内容の文章を見つけました。」なぜ、筆談している時この文書を理解できなかったのか悔しくてたまりませんでした。そこで猛然ともう一度彼女たちに会いたいと思うようになりました。
 ノートをさらにめくって見つけたのが、彼女たちは鄭州市内の友誼賓館というホテルの近くに住んでいるという文章でした。私は、これを見て料理もまだ出されていないのに店を出て、タクシーで友誼賓館に向かいました。しかしすでに夜中になっており、雨も激しく降っています。今日は探すのはぶりだから、明日、この友誼賓館に移ってここを拠点に周りを探してみようと思い、その日はまた自分の宿泊先であるホテルに戻ることにしました。
 翌朝、すぐにチェック・アウトし友誼賓館に宿を変えました。ホテルのフロントに、っこの人たちを捜しているのだが知らないかと聞いてみても、返ってくる答えは、「我不知道(しらない)」。私は、取りあえず周りの家を探してみて、色々聞いて回ることにしました。しかし、収穫はナシ。私は半ばあきらめていましたが、そこで思い出したのが、彼女の母親が二十七記念塔という観光施設で働いているということ。そういえば、鄭州についてすぐに二十七記念塔に観光しにいったのは、彼女たちが慣れ親しんでいる場所を見ておこうと思ったからでした。
 私は、再び記念塔に向かいました。券売場の人に、筆談で「陳宝と陳浮を探している。」と掻くと、その人は彼女たちを知っていました。彼は、彼女たちをと呼びだしてくれ待つこと30分くらい,私は、陳宝と陳浮に再会することができました。
 鄭州に来たのは、黄河文明について少しでも知っておこうという目的のためでしたが、結局目的は果たせず鄭州をあとにしました。しかし、私にとって、鄭州で陳宝と陳浮に会えたことは、とても衝撃的で、このことは、一生忘れない思い出の一つになるでしょう。

 



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