大学時代、サークルで研究発表したレジュメを当時のままに掲載することとしました。枠内は文献を翻訳したもので、それをもとに考察するという構成をとっています。無知ゆえの思い込みや未熟な構成など、読みづらい点があるかもしれませんが、大目に見てください。
1996/6/25(火) 法学部3年 岡崎太朗
古代エジプトの法理念
法体系は、例えば公正な政治など、多くの面で宗教に関係していた。そして、今日では、エジプト人がどのようにして論争を解決したのかわかっている。あらゆる街に法廷があって、そこで神官たちが論争をし、これに加えて、神が裁判官の役割を果たす手続きが使われることもあった、と考えられているのである。つまり、裁判は被告にとっては、とても深刻な問題だったのである。時の経過とともに、法体系は徐々に宗教から分離していったが、それでも宗教の刺激を受けることはあった。これは、エジプト人が、死後の世界に多大なる関心を持っていた、という信仰心の基盤を作り上げている既知の事実に見ることができる。 |
当時の人々が死後の世界に興味を持っていたことは、王家の墓からうかがえる。「死者の審判」はよく墓やパピルスに描かれ、ファラオは現世とは違った、死後の世界で神としての人生を送ることを望んでいた。そして、それはオシリスと同一になることを意味していた。
ここでパピルス文書に目を向けてみる。古代エジプトのパピルス文書は、9割が宗教に関するもので、そのさらに9割が葬送用のものだとシュタインンドルフが言っている。「死者の書」(名付けたのはレプシウス)といえば、わかりやすかろう。これは簡単に言えば、オシリスに審判される際、無実だと言わせるための証拠、と言えるだろう。しかし、内容は同じ事の繰り返しで、単調で、前後の脈略が不十分で理解が困難なものが多い。ついでに、「死者の書」で有名なものを紹介しておこう。
アニ・パピルス | ・長さ23.634m、高さ40cm、66章からなる。 | |
・書体がすばらしく、幾分削除や誤謬があるが、全体は良好。 | ||
フネフェル・パピルス | ・長さ5.454m、高さ50cm、?章からなる。 | |
・1章はナヴィルが絶賛。17章は損傷も激しく、内容も稚拙。 |
エジプト人たちは死んでもなお死後の世界があることを疑わず、家族は死者に生活必需品や食料を与え、葬式を祝った。しかも、彼らは自分が生きている間すでに、死後の自分の墓にもたらされるべき供給の保障として、数人と婚約して、彼女たちやその子孫が自分の死後需要を満たせるように、土地やそのほかの歳入を彼らに残したのである。このようにして、歴史の早い時期から、司法上基盤となるメカニズムが存在することとなったのである。 |
女性の法的地位を見てみると、女性であっても、当然自分の行動に責任があり、実際に女性も男性と同じ扱いを受けていた。女性は動産であっても、不動産であっても相続することができた。例えば、三人の奴隷を解放するだけでなく、養子にして自分の財産を相続させた女性もいた。また、女性は一人であらゆるビジネスライフに積極的に参加でき、裁判にあたっても一人で提訴できた。公の場では男性の方が優位に立っていたが、夫のいない間妻は夫の職務を引き受けることもあった。 一方、王家では女性がかなりの役割を持っていた。王位に関しては、前任者の娘と結婚することで、多くの新王は自分の地位を主張したのである。 |
ここで、ツタンカーメンの例を挙げておこう。ツタンカーメン自身は王位継承権を持っていない。彼はアンテセナーメンという女性と結婚するわけだが、この女性はイクナテンとネフェルティティの娘であり、いうなれば、王位継承権付きで彼女と結婚したことで、ツタンカーメンがファラオになったのである。
例外として、ハトシェプスト女王がいる(彼女は実際にはファラオではないので、例外とは言えないかもしれないが)。トトメス3世は即位したときわずか6歳で、政治はハトシェプストが行っていた。しかし2年後、彼女は「我こそエジプトのファラオなり」と主張して、その後約20年間女王として一人で統治した。ちなみに、この間も形式的にはトトメス3世が統治者であり、ハトシェプスト女王の業績も「トトメス3世治世〜年」で残されている。そして、トトメス3世が実際に単独政権を握るのは、「トトメス3世治世23年」、実に29歳のことであった。
以上のような女性にとって好都合な法的地位は、古代世界、後のギリシャ時代やローマ時代においてでさえ、ほとんど見あたらない。
結婚に関しては、多くのパピルスによって様々な面が明らかになっている。婚姻制度においては、国家も神殿もその役割を果たしていなかった。結婚はとても高度で厳しかったと考えられる道徳律によってのみ規律化されていたのであろう。実際に、夫婦間の相続法、特に起こりうる離婚に関してのみ扱っているパピルスが現存している。 |
第14王朝、男性は、女性の家では賄い付きの単なる下宿人であるべきだ、という考えが存在していた。
「妻のことをよく知っているならば、その家では不作法であってはいけない。置いてあって不自然ではないのに、自分がわからないからと言って『あれは何だ。もって来い。』などと言ってはいけない。自分の目で確かめなさい。」と書かれた文献からも当時の考え方が理解できる。
古代エジプトの社会は初期王朝の頃から強固で、高度に発展していたことが推測される。そして、独特の法律があったことは明らかである。この社会は、先述したように宗教によって強く影響を受け、いわゆる『マアトの思想』に基づいた法律イデオロギーを持っていた。マアトとはすなわち、普遍の正義と秩序に関係のある神で、ダチョウの羽か、その羽を髪飾りに差し込んだ女神の姿として示される。 |
マアトとは、「真理」と訳されるが、「自然の純粋なる状態」「自然の摂理」「宇宙の秩序」「宇宙の調和」と言えばわかりやすい。ここからも、マアトが法律と無関係でないことが導けよう。
さて、この「マアト」はイクナテンの宗教変革の自身にも関わるものだった。具体的に言えば、アテン神信仰は自然によりよく調和し、かつその秩序にかなうことができる、と信じていたイクナテンによって「マアト」はスローガンであり、求むべきものだったのである。
その証拠として、イクナテンは「マアトの中に生くるもの」と名乗り、「マアトは我が心の糧」とも言っている。また、アテン神以外の神の名を含む先王たちの碑文をことごとく削り取ったイクナテンも、父王アメンヘテプ3世のネスウ・ビト名である「ネブマアトラー」だけは手をつけていない。
ではここで、フネフェル・パピルス(先述)の中でのマアトの役割を見てみる。
場面 | 1. | アヌビス神の案内 | |
2. | アヌビス神の測定、トト神の記録、そしてアメミト →トト神は英知と正義の書記を司る神。 アメミトは”Eater”。”Eater of the Death”とも呼ばれる、様々な動物が組み合わされた怪物で、秤が釣り合わなかったとき、心臓を食べる。 エジプト人は実際の死より、この2度目の死を怖れた。バーとして現世に戻ることもできない、つまり「無」となるからである。 |
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3. | ホルス神の案内 | ||
4. | オシリス神とイシス、ネフティス →オシリスの玉座は、"Lake of Natron"の上にあり、そこからは、4つの"Sons of Horus"のついたロータス(はす)が生えている。 |
人(ここではフネフェル)が死ぬと、42の神々の前で「罪の否定告白」をしなければならない。それが終わると「死者の審判」である。その際、秤にかけられるのがその者の心臓と「マアト」である。そして、つりあえば死者は無罪となり、冥界に住人となり、永遠の命を手に入れることが出来るのである。ミイラを作るとき、4つの内蔵(小腸、胃、肝臓、肺)をカノポス壺に納めるのに、心臓だけミイラの中に残しておくのはこのためである。
エジプト人は法律を科学としては扱っていなかった。そして、法システムが多かれ少なかれ経験的に発展したのは明らかであり、エジプト人たちが抽象的に物事を考え、法理論に関心を持っていたことを証明するパピルスも存在する。そこで、ひとつのパピルス(2m以上もの長さで、民謡文字で書かれ、紀元前3世紀頃のものと推定されている)について触れておくと、そこには、民法のいくつかの主題に関する法性質が含まれていて、その構成から、古代エジプト文明の後半には専門的な法体系が存在していたことをはっきり結論づけることが出来る。この仮説を裏付けるパピルスは他にも存在する。 |
周知のことだが、条文によって明文化されているものだけが法律ではない。日本の民法においても慣習法が優先する場合があり、また、抽象的規定であったり、妥当でなかったりして議論の分かれるものは、判例によってある程度具現化される。この判例も、俗に言う「法律」と同等の効力を持つ。
もっと言えば、条文はいろんな場面を想定できるように抽象的に規定され、それを各々の事例に当てはめて具体化したのが判例、そして、地方性によって特別に優先されるのが慣習法であるのだから、条文を抽象化することは立法のテクニックなのである。それが、今から2000年も前に成されていたことは、驚異に値すると思われる。
エジプト人の正義と法システムは古代世界を通して絶賛されていた。ソロン(アテネ出身でギリシャ賢人のひとり)のような多くの立法者が、法律を学ぶためにエジプトを訪れ、また、ペルシアのダレイオス1世は、エジプトの法律に特に注目していたと言われている。エジプトの法律が法の発展に大きな貢献をしたことは明らかである。つまり、エジプトは法の歴史において、全世界の根元に位置しているのだ。 |
以上
参考文献 | ・ | 古代エジプト文化 | - | 岡島誠太郎 | - | 古文化叢刊 |
・ | 王と神とナイル | - | 鈴木八司 | - | 新潮社 | |
・ | SOCIAL LIFE IN ANCIENT EGYPT | - | PETRIE | - | CONSTABLE LONDON | |
・ | THE LEGACY OF EGYPT | - | GLANVILLE | - | OXFORD | |
・ | ATLAS OF ANCIENT EGYPT | - | BANIES & MALEK | - | LES LIVRES DE FRANCE | |
・ | 古代エジプト講義録(上・下) | - | 吉村作治 | - | 講談社 | |
・ | 古代エジプト文明の謎 | - | 吉村作治 | - | 光文社文庫 | |
・ | ANCIENT EGYPT | - | - | THAMES & HUDSON |