テロ後のエジプト国内情報



エジプトの国内状況(1997年12月)

 1997年11月のテロにより、エジプトのイメージはがた落ち。誰に聞いても「危険だ」「行かない方が賢明」という答えが返ってきた。しかし、実際は「今だからこそ安全」なのです。至る所で機関銃を持った兵士が待機していて、そっちのほうが怖いくらい。カイロやルクソールの博物館前はとくに厳重。では事件のあったルクソール西岸はというと、ここも大丈夫。予算の都合上、西岸を1日かけて自転車で廻ったが、ハトシェプスト女王の葬祭殿はものすごい警備。安心して旅行できた。とりあえず旅行者がいなくて、あらゆる遺跡を独り占めできたのもうれしかった。所々にある「SMILE IN LUXOR」の看板には苦笑してしまったが・・・  

 とにかく観光客がいないので、観光産業が成り立たない。ホテル関係者、おみやげ物屋、船のオーナー、馬車乗り・・・みんな収入がなくて、生活に困っていた。政府転覆を狙ったイスラム原理主義者(過激派)の思い通りである。それでもみんなが明るく接して、受け入れてくれたことが僕の旅を一層すばらしいものにしてくれた。相変わらず、人と接するのが面白い国だと思った。それについては、のちほど。ちなみに、タクシーの運転手はエジプトでは結構高給取りらしい。

 現在「危険」イメージのあるエジプトは、いろんなところで値段が変動している。まずはビザ代。僕が入国したときは15ドル(12ドルだったかな)必要だった。でも、その3日後、ビザ代は0!いらなくなったのです。これはすごいことだと思う。観光産業を復興させるために、国民の生活のために、外貨を獲得するために是も非も言ってられないのだろう。次に国内線。カイロ−ルクソール間が列車で往復約3,000円。外資系寝台車で約22,000円。飛行機だと約24,000円かかってしまう。カイロ−ルクソール間は陸路がとくに危険で、途中アシュート(イスラム原理主義者の拠点)を通るときはドキドキしてしまう。ここは本当に危険。大使館の日本語教師に出会ったが、彼女も「危険だ」と言っていたし、吉村作治教授の下で働いてる先輩も「危ない」と言っていた。以前先輩が乗った列車の2・3両後ろが爆破されたらしく、陸路はできるだけ避けた方がいい。でも飛行機はちょっと高いから、と思って僕は寝台車で行った。往復2泊分のホテル代と食費がいらないから、飛行機よりは断然お得と思ったのである。寝台車自体悪くなく、相部屋のハンさん(シンガポール人)と出会って色々話もできたし、隣部屋のシカゴ在住の某夫妻(名前は聞かなかった)の旅行話も面白かったので、いい経験ができたと思うが、実は飛行機代が国内線に限り半額だったのである。エジプト・エアー。ということは、往復12,000円?安すぎる!列車で10時間かかるところを、2時間で行くし。僕は何の恩恵も受けなかったけど、調べればもっと出てきそうである。

 国内外ともに「危険」という認識の下に、エジプトは警備が厳重になり、旅行しやすい料金体系に変わりつつある。今だからこそ、エジプト旅行はしやすく、安全だといえる。それを裏付けるかのように、今年の早稲田大学エジプト文化研究会エジプト遠征は決行。「吉村作治」の名の下に旅行するため、迂闊な旅はできないはずなのに、教授本人が「死んでこい」と笑顔で遠征を許可した。


値段交渉の旅


 とにかくエジプト人はいい加減である。何が本当で何が嘘で、誰を信じていいのかわからない。空港からカイロ市内の中心部・タハリール広場まで20ポンドから25ポンドくらいだが(97年12月現在で1ポンド約38円)、「40ポンドだ」とか「50ポンド」だとか言ってくる。それも空港にいる「official」な人が。それさえも本当かどうかわからない。カイロ空港到着が午前5時だったこともあって、とりあえず宿を見つけたかったので、35ポンドでOKした。「空港の人」がふたりでタクシー(ていうかマイクロバス)に一緒に乗り込んで、ひとりは途中で降りた。そしてまた来た道を戻ってタハリールへ。「ついでかよ」と思ってちょっと損した気がした。

 ここから「値段交渉の旅」が始まった。一番やっかいなのがタクシーの運転手である。それは後で話すとして、まずは土産物屋や安ホテルでの値切り方をお話ししましょう。

土産物屋の場合

1,いくつもの店を廻って、買いたいと思ったものの相場を知る。これが楽しい。ひとつの店で「これ」と決めてはならない。

2,同じものをいくつか買おうと思っても、最初はひとつ買うつもりで交渉する。そして、「2個買うからまけろ」「3個買うからまけろ」という具合にディスカウントしていく。(ここで買ってもいい)

3,もうさがらないかなと思っても、「ガリ!(高いよという意味)」と言って、そこで買わずに帰るふりをする。すると、「one minute」と言ってくるはず。少し安くなる。(ここらが買い時)

4,名前を入れてもらう場合は(金銀製品やパピルスにヒエログリフで名前を入れられる)「うまくできたら、何かあげるよ」と言って、ボールペンやポンドをちらつかせる。そうすると、丁寧に作成してくれる。(値切りすぎるといい加減になる可能性あり)数時間後、商品を受け取って、とても良くできていても、「ダメだな」と言って追加料金は払わない。

ホテルの場合

「地球の歩き方」に載っているのがちょうどいい料金だと思うが、必ずそれ以上にふっかけてくる。
ポイントは
1,朝食はつけない。朝食をつけると5ポンドくらい高くなり、外で食べた方がおいしくて、安かったりする。

2,妥当な値段まで下げられなかったら、「他の宿を探す」と言って出るふりをする。

その他のチェックポイントは、
 ホットシャワーが出るか確かめる。
 シーツがきれいか確かめる。
 鍵がかかるか確かめる。
 ダニや蚊がいないか確かめる。

タクシーの場合

1,場所を告げていくらか聞くと、必ずふっかけてくる。

2,それに対して、こっちは希望の値段より少し安く交渉する。

3,ダメだったら「他のタクシーにする」と言ってみる。タクシーはいっぱいいるから大丈夫。しかし、難しいのは無理矢理安くしたら、運転が乱暴だったり、運転中に「もう5ポンド出せ」と言ったりしてくること。あまりないと思うけど、途中でおろされたり、他の所に連れていかれたりしたらかなわない。

 僕は泊まってるホテルの人に頼んで、タクシーに空港まで20ポンドで行ってもらいました。ドライバーはずっと怒って文句を言ってきます。100キロくらいで暴走する。「10ポンド出せ」「空港にはいるのにチケットが2ポンドかかる」とか言って、うるさかった。すると、途中の道でいきなりバックしだした。「まじかよ、降ろすのかよ」とビクビクでしたが、他の人を1キロくらい相乗りさせただけだった。僕は空港まで、額にしわを寄せて、鼻の穴を膨らませて、目を大きく開けて、こわい顔をしつづけ、ドライバーの言葉を無視していました。もう空港では何も言ってきませんでした。「顔が疲れた・・・」

「明日は永遠に続く未来のある1日」

 エジプト人はとにかく時間という概念にとらわれない。僕らが「明日」について考えるとき、すごく現実的にイメージして、「いい」とか「悪い」とか「楽しい」とか「苦しい」とか具体的にとらえてしまうと思う。でも、エジプト人は違う。彼らは「明日は永遠に続く未来のある1日」と考えているのである。そんなエジプト人との出会いで、僕が思い出に残っている二つをお話しします。

 そのひとりがラファトというおじさんタクシードライバーだった。ダハシュールとギザを廻って9時間チャーター。110ポンド。200ポンド払う人もいる位なので、この値段は結構いい方です。その次の日もチャーター1時間10ポンド。安い屋台だけどおごってくれるし、家に招待してくれて、家族に会って、家畜を見せてくれて、魚料理をごちそうしてくれた。次の日は、たまたまキリスト教の聖人・ブロバティアの命日で、カイロの教会に全国からキリスト教徒が集まってきていた。ラファトはその教会に連れていってくれたのです。家族6人と一緒に。当然、教会内はエジプトのキリスト教徒のみ。僕ひとり浮いてしまったが、普通はできない、いい経験だった。彼には本当にお世話になった。彼は僕が脱いだ上着を、いつも汚れないように袋に入れてトランクに積んでくれた。ある時、「上着はトランクの中に入れてくれたの?」と聞いたら、「心配しなくていいよ。オレがいるから、太朗のカバンも上着も君自身も大丈夫だ。安心しろ。」と言ってくれた。僕もラファトも英語は母国語じゃないのに、英語の会話で涙が出てしまいました。「言葉じゃないんだなあ」って思った。その後、夜行列車でルクソールに行って、数日後ラファトと駅で待ち合わせをした。でもその時はちょっとふっかけてきた。帰りは空港まで35ポンドと言って譲らなかったから、断った。ラファトさえも信じられなくなった。あの涙は一体・・・

 ただひとり、ルクソールで出会った人は僕の唯一信頼できる友達です。マラック・スウード(20才男)という人です。ギャバンに変身しそうな顔の安宿(アングロホテル)のフロントだった。彼とは朝も夜もいろんな話をした。彼は妹と弟の学費を自分で出していた。でも月収は1万円以下。「1日17時間働いて寝る時間もないし、休む日もない。」と言っていた。観光のため僕が朝6時にホテルを出たとき、彼はフロントの椅子で寝ていた。よほど大変そうだった。しかも今観光産業がガタガタで、ホテルは満室じゃない。そんな状況なのに、僕が「お金がなくて、今日はご飯を食べてないんだ」と言うと、彼は自分の朝食(「フール」という豆料理)を半分くれた。そして話しているときは、いつもシャイ(エジプトのお茶)をくれました。シャイは店で出してくれることもあるが、「買ってくれ」という裏がある。でも、彼は何の見返りも求めてこない。だから日本語で宿の宣伝をしてあげた。とても喜んでくれて、オーナーをはじめ、来る友達みんなにそれを見せてはしゃいでいた。彼は工事中の新館も中に入れて見せてくれた。「これができたら三ツ星になる」(冗談)と言って笑っていた。僕は本当にマラックが好きになって、写真を一緒に撮って送ってあげると言った。手紙も書くからって言った。マラックは「毎日太朗からの手紙を待って、『まだかな』ってフロントに座ってるから」って言っていった。「今度エジプトにいつ来る?今度来たらまたここに来てくれ。ファルーカ(帆船)に一緒に乗ろう。お金はいらないから。」とも言っていた。ルクソールを離れるときは本当に寂しかった。もう少しここにいたいと思った。


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