ハプニング



@洞窟の中の密室殺人


 「王家の谷」。エジプト関係のテレビを見たり、本を読んだりしていれば、必ず出てくると言ってもよいほど有名である。新王国時代(紀元前1565年頃から)には、この王家の谷に洞窟を掘ってそこを墓としたのである。王家の墓地と言ったところであろう。現在ほとんどの墓が盗掘されていて、宝物はない。ただ、その墓に描かれたレリーフにはすばらしいものがあり、有名なところではラムセス6世の墓があげられる。高校世界史の資料集の表紙にもなっている。
 そんな中で見つかったのがツタンカーメンの墓である。「もう王家の谷は堀尽くされた」と言われ、カーターの支援者カーナボン卿も手を引こうとしていた矢先の発見で、この知らせは世界中に衝撃を与えた。エジプトのファラオと言えばツタンカーメンを思い浮かべる人も多いと思う。しかし、ツタンカーメンはエジプト史上宗教の関係でその名を抹殺されていた時代のファラオで、若くして死んだこともあって、その存在すら不明確であった。そんなファラオ・ツタンカーメンの墓は小さいながら信じられないほどの金銀財宝が納められていたのである。この宝物から人々は当時を想ったのであろうか、ツタンカーメンは現在でも「TUT(とぅとぅ)」と呼ばれ親しまれている、人気NO1のファラオである。
 王家の谷の墓は洞窟だと言っているように、入り口はひとつである。そこをふさぐと密室になるわけで、空気ので入りする隙間もなくなる。僕がある墓を拝観していた時のことである。あまりにすばらしいレリーフにいつまでも眺めていたいと思っていたそのとき!異臭が漂ってきたのである。「屁だ!!!」エジプトの水でおなかでもこわしたのであろうか、とんでもなく臭い!空気も逃げ場がないから対流しない。まさに、殺人級!!「シャレならん!」そう思って、その墓から出た。最悪である。あんなにきれいなレリーフの前で。犯人は未だ謎である。

A役に立たない受験英語


 エジプトの母国語はアラビア語である。でも、さすがに観光地。英語はほとんどの人がしゃべれる。買い物の交渉も当然英語でするし、案内板(料金や遺跡の説明など)も英語で書かれている。しかし、彼らの話す英語は少し変である。一番わかりづらかったのが、「R」を「L」と発音することである。たとえば「サーティーン(13)」が「サルティーン」になる。何言ってんだか。まあこれは慣れれば大したことはない。イギリスで「マイ(my)」が「メイ」になるのと同じようなものだ。でも、さすがにブロークン英語(こちらも同じようなものだが)だけあって、型にはまった受験英語は通じないのである。
 ある時、ファルーカ(帆船)に揺られながら、操縦してくれているエジプト人と「もし・・・」と言う話をしていた。友だちが「If」を使っても全く通じない。どうしてかわからないが通じないのだ。そこで僕はちょっと思いきったことをしてしまった。いま考えればバカバカしいことだが、「動名詞」を使って「条件節」を表現したのである。彼らの頭に「?」がついた。しまいには、"Can you speak English?"だとさ。ちょっと悔しかった。
 ちなみに、日本語をしゃべる人もいる。「バザールでござーる」「見てるだけ」「さらばじゃ」誰が教えたんだか。

Bいい加減にならなきゃ、やってられない


 エジプトの人々は概していい加減である。というか、日本人がきちんとしすぎているだけなのかもしれない。ある時スークで銀のペンダントを買ったのだが、名前を入れる(前掲)のに2時間かかるという。2時間後に来ると言って、ぶらぶらしていたのだが、行ってみたら出来ていなかった。あと30分かかるという。30分後、出来ていない。「もうちょっとかかる。」1時間後、出来ていない。「出来ると言ったじゃないか!また、1時間後に来る!今度出来ていなかったら、お金は払わないぞ!」 やっと出来た。出来上がるのに倍以上の時間がかかったのである。かといって、こういう話はここだけの話ではなく、エジプトでは結構こういうことがある。相手の言うことを鵜呑みにせず、のんびり構えることだ。
 ちょっと違う例だが、カイロ博物館のミイラ室に行ったときのことである。ここではミイラの撮影は絶対禁止。そのつもりでいたら、警備員のひとりが寄ってきた。「おまえひとりか?」「そうだ」「じゃあ、ミイラの写真撮っていいぞ。こっそりな」僕は聞き間違いかと思って、確かめたが、やはり撮ってもいいという。「ラッキー!」周りに観光客が何人もいたので、ほんとにこっそり撮った。警備員にもさえわからないように。「ラムセス2世」と「トトメス4世」である。ラムセス2世は超有名。トトメス4世には、スフィンクスに関するロマンチックな言い伝えが残っているので、個人的に好きなファラオだから写真におさめた。さて、ミイラ室を出ようとすると、さっきの警備員が寄ってきた。お礼を言おうとすると、「30ポンドでいい」だって。なんじゃそりゃ!話が違う!いや、別に違くないか。「結局撮ってないです。」そう言ったら許してくれたが、理不尽な話である。でも、考えてみると、エジプトだということを考えれば、起こるべくして起こったことで、それに早く気づかなくべきだったのである。
 最後にもうひとつ。ルクソール西岸で、自転車に乗って王家の谷に向かおうと、貸し自転車屋と話していた。結構ボロを平気で貸すから吟味が必要である。東岸の人が「うちはチェーン店だから、向こう(西岸)で借りてこっち(東岸)で返せばいいよ。そしたら、東岸でもちょっと観光できるだろ?」という。そりゃ楽だなと思って、西岸に向かった。しかし西岸で「何のことだ?うちはチェーンじゃないぞ」といわれた。挙げ句の果てに「うちの営業は午前11時までなんだ。もう閉店だよ。」いつ働いてんだよ!!「でも午後6時まで貸してやるよ。」やかましいわい。
 こんなのばっかりである。とにかく、いい加減になろう。まじめな人は気が狂うかもしれませんね。ちなみに、借りた自転車はしばらく乗ってると、カタカタと音を立て始めたボロでした。やられた。そういえば、ある遺跡で、それを見るベストポジションを教えてくれた警察官が「バクシーシ」と言ってきたのにはびっくりだった。「お前もか!」  



1997年12月の情報

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