(我孫子市真栄寺住職:馬場 昭道和尚)
著書 『聖なる国々の姿』(鉱脈社。インタビューの中に出てくる著書。)
『ラダック紀行』
真栄寺住所 〒270-11 我孫子市新木3128真栄寺

笑いと涙の3時間。とっても長いのでコピーして読んでください。

      

   

真栄寺住職 馬場昭道さん

−はじめまして。よろしくお願いします。

こちらこそ、よろしくお願いします。

−和尚さんはインドへ行かれたことがあるそうですが、何か理由があるのでしょうか。

それはね、ネール首相やガンジーなど、それなりの分野でそれなりのすばらしい人々が出てるからだよ。だからといって、みんな非常に我の強い生き方をしている。人間丸出しよ。そういう人間らしい生き方をしている。また、修行者と浮浪者の違いがわからない。ガンジス川で沐浴とかをしてね、衛生とかそういう考えを超えて宗教が生きているところが好きだね。最後に行ったのが20年くらい前だったかな。生き様は変わらないんじゃないかなあ。

−和尚さんは何歳くらいの時にインドに行かれたのですか?

24の時かな。

−どうしてインドに?

釈迦がどういうところで生まれ、どういうところで修行され、どういう人たちに囲まれて王という位や奥さんを捨ててまで、悟りを開く道を行かれたのかなあと思ってね。

−インドに行かれて何を感じましたか。

そうねえ、人間みんなチョボチョボってことを教えられたねえ。小田実(おだ・まこと)がよく言うけどね、どこの国へ行っても人間の大きさはみんな同じだってことだよ。面をかぶって生きてるその姿を露わに見せてくれるっていうかねえ。だから非常にみんな我が強いよねえ。

−人間が濃いですよねえ。

そう思うでしょ。だから無我を説く仏教が栄えたんだよ。だからインドへ行ったんだしね。それでねえ、インドの旅についてだけど、旅の始まりにね、まず仏具とかいろんなものを買い込んだんよ。やっぱり欲があったんよねえ。珍しいし、安いし。そして、汽車で釈迦の修行した土地に向かったんよ。夜になると、インドでも北のほうは寒いからねえ、向こうにいた人に「寒いからこっちにおいで」って言っても来なかったんだよ。横になって寝てたんだけど、ある駅に着いてまた動き出したら、その男はねえ、私の荷物を取って汽車から飛び降りたよ。何もない。私はよう飛び降りんかったよ。まず否定されたね。「無一物で行け」って。警察に言っても何にもならんしね。

−そうですよね。

よく飛び降りてくれたって感じだね、警察もねえ。物を持ってる者は、持ってない者に与えるのは当たり前だっていうよね。だから、インドでは子供から大人まで「バクシーシ・バクシーシ」って言ってねえ、「恵んでくれ」って言うよねえ。こっちは物を取られてねえ、逆にこっちが「バクシーシ」って言うわけよ。そしたらね、その乞食の人がね、自分より困ってると思ったんだろうねえ、恵んでくれたんだよねえ。

−すごいですねえ(笑)。

人間の平等っていうものを、そういう形で訴えてるんじゃないかなあ。

−和尚さんの宗教観の中では、そういう思想をどうお考えですか。

原点はそうでしょうね。欲の否定をしていくからねえ。

−日本ではあまり馴染みのない考えですよね。

そうねえ。それは今の日本が恵まれてるからだよ。戦後はそういうのがたくさんあった。よく自分の小遣いの一部をあげたりなんかしてね。それで、いいことをしたなあ、なんて思ってた。そういう、いいことをできるっていう場は貧しい中にあって、一概に物に恵まれないっていうのはかわいそうなことではなくて、子供にとってはいいことができるチャンスだよね。

−今、例えば新宿では乞食の人がたくさんいますが、豊かなこの時代にどうして恵んであげる人があまりいないんでしょうか。

物に恵まれすぎると、欲も複雑化するんよね。欲の本質は同じなんよ。でも、恵まれてるから豊かになるわけじゃなくて、むしろケチになるっていうかね。物欲が増えるんよね。貧しい人は「物がほしい」っていう心がわかるから、なくても与えていく。豊かな時代だからこそ、貧しい人に共感できなくなるんよね。

−ちょっと前に阪神大震災で話題になったボランティア活動を見てて考えたことがあるんですが、偽善と善についてどうお考えですか。

「偽善」の「偽」は「人の為」と書くよねえ。「人のため」と思ってしまったら、それは偽善だね。

−「偽善」も「善」と認めるべきでしょうか。

偽善さえできないもんねえ。善を重ねて初めて、偽善しかできないって自分に気づくんだよ。よく私も「偽善」だなって思うよね、自分自身が。真っ白の「善」っていうのは、なかなかできないよね。ただ、母親の子供への愛は真っ白な「善」だよね。"GIVE AND TAKE"じゃないから。人間の「善」っていうのは、あれだけやったのにって思うんだよね。「やった」っていうことがずっと残ってる。例えば、阪神大震災で一生懸命してあげた。その与えたお金が散財されたら、「せっかく俺たちがやったのに、あんな使い方をして」ってことになる。「善」だったら、それで終わりなわけ。

−そう言われると、そうですね。

これはちょっと違う例だけど、あるお坊さんと小僧さんが歩いてたんよ。そしたら、きれいなお姉さんが水たまりで進めなくて困ってたんだ。それでお坊さんが「どうぞ」って言って、その女性を背負って、その水たまりの向こうへ連れていった。小僧さんはびっくりしたんだね。女性にも触っちゃいけない修行なのに、自分が師と仰いできた人が平気で女性を背負ったもんだから、びっくりしたわけよ。「女性に触っちゃイカンていうのに、何てことをするんですか」って。すると、お坊さんは「おまえはまだあの人を背中に背負っているか」って言ったんだよ。背負ってない本人が背負ってるのに、背負った本人は背負ってないわけよ。

−ほお・・・(感心)

だから、「偽善」もそういうとことがあるんじゃないかなあ。背負ってしまう。「善」なら、やったところで、もう執着を捨ててなきゃいけないんよ。それを仏教では、「喜捨」っていうんだ。

−キシャ?

「喜んで捨てる」って書く。

−それが「善」なわけですね。

「施し」っていうかね。喜んで捨てないとなかなか捨てられんもんね。難しいよね。

−僕たちは今就職活動で、給料・イメージ・待遇・仕事内容などいろんな欲があって頑張れる面があるんですが、その欲がなくなったらどうしていいかわからなくなりますが。

そういう欲が見えてきて、そういう欲を良い面に生かしきろうとすると、それは「意欲」になるでしょうね。これは努力ですね。

−「欲」も「意欲」になればいいわけですね。

だって「欲がなくなったら生きていけない」って今言ってたけど、肉体がある限り、欲はなくならないよね。

−どうしたら「欲」はなくなるんでしょうね。

だからお釈迦さんは修行したんだろうね。そういうのを越えたいっていうのかねえ。それから「四苦八苦」っていうでしょ。「四苦」は「生・老・病・死」だよね。死にたくはないよね。でも、そういうものを越えようとしたんだろうね。

−へえ。

奈良に「ぽっくり寺」っていうのがあってねえ。そこにお参りしたら、ぽっくり死ねるっていうのがあってねえ、団体で行ったんよ。そしたら帰りのバスでねえ、心不全でぽっくり逝った人がいたんだ。

−おお。

それで、周りの人が何を言ったかというとねえ、「いくらぽっくりでも早過ぎる」ってねえ。

−あははは(大笑)。

これが本音よ。矛盾してるだろ。今じゃ「ぽっくり寺」は人が参らなくなったね。どうしてかっていうとね、「ぽっくり寺」の住職がね、ぽっくり逝かないで重病になってるんだねえ。これも肉体があるからねえ、自分の肉体なのに思うようにならない。肉体を背負ってるんだよ。

−「背負う」って感じかあ。

避けられないんだねえ。みんなそう。いくら偉そうなこと言っても、思うようにならない。ましてや、他人は思うようになるわけがない。ところが他人を思うようにしようと思うんだね。・・・どっからこういう話しになったんかねえ。ドンドンずれるからねえ。(笑)

−そうですね。(笑)ところで、日本では死んだら肉体が滅び、魂は残るという考えですよねえ、宗教思想として。

仏教では「魂」ってことはあんまり言わないねえ。私が流を汲んでる浄土真宗ではそういうことは言わんのだよねえ。

−じゃあ死んだらどうなるんですか。

浄土真宗では死んだらお浄土に参るっていうよねえ。じゃあ「お浄土」ってどういうところかとよく言われるけど、やっぱり見える世界じゃないし、そこが信仰だろうね。信じる世界がないと。例えば、そうねえ。トンネルがあって、線路があるよねえ。トンネルの向こうに線路があると我々は知っているから、行けるよねえ。

−はあ。

このトンネルを「人間の死」とするとねえ、死ぬのはいやだけど、「死」の向こうにちゃんとした線路があると信じていける世界は受け入れていけるっていうかね。例えば、私の姉が46で、小学校3年生の男の子を残して死んでいったけれども、やっぱり両親に「先に行っとくから来てね」って言ってね。そしたら、両親が「おう、先に行っとけ。やがて行くぞ、心配すんな」って言って別れていく。死にたくないですよ。死にたくないけれども、そういう別れ方はあるわけね。非常に安らぎをもってね。これはやっぱり、「お浄土」っていうものを信じていける世界でしょうね。だからって、喜んで死んでいくわけじゃないよ。でも、みんな死んでいかなきゃならんよ。生身の肉体を持ってるんじゃから。間違いない。人間の死亡率100%!

−そうです!(笑)

とすると、僕やみなさんも別れるって前提で出会ってるわけよ、今。お母さんやお父さんともそうよ。出光のポスターになってるセンガン和尚が亡くなるときに、弟子たちに「辞世の句を」って言われたときにね、だいたい弟子を導くいいことばを残していくもんだけどね、「死にとうない」って言ったってね。

−あはははは。(笑)

ホントやろ。

−一休和尚もそういって死んでいったていいますよね。一番自分に素直に自分の死を受けとめていったっていう話を聞いたことがありますが。

それが本当だろうしねえ。そのまんまで生きていけるっていうかねえ。

−自分の欲をそのまま受けとめていいっていうことでしょうか。

「死にたくないんだ」って。それを超えて生きてるってことだよねえ。自分の「我」とかを。それが一番難しいんだろうねえ。我々はこだわって生きてるもんねえ。「我」っていうものに。それを超えていくっていうかねえ。かといって、私がそれを超えているかっていうと、まだまだねえ。死ぬまで超えきれんよ。

−それが向上心につながるんでしょうか。

それは難しいけど、向上心がないと自分と出会わないだろうしね。そういう人の方が、もっと深いところで自分に出会っていくよね。

−そういう人が「無」の境地という、自分でわかって使ってる言葉ではないんですが、そういうものを求めて行くわけですか。

うん。

−欲が深くなると、欲がよくわかるっていうことですか。

そういうことだね。

−「悪人正機」とかはそういう意味なんでしょうか。

蓮如が「歎異抄」で、これをとりあげてるよね。危険な考えだって。考えによっては、悪人ほど救われるって。でもそれは単純な捉え方だよね。たとえば、比叡山でもね、たくさん修行僧がいる中でねえ、物がいろいろなくなったんだよ。それはおかしいっていうんで、修行僧たちが犯人をつきとめたんだよ。それで、師匠のところにそいつをつきだしたんだよ。師匠は「そういうことをしちゃイカン」って言ってね。それでも、また物をとって、捕まって、つきだされたわけよ。修行僧たちは「こいつを寺から出してください」って言った。「どうしてもか?」「どうしてもだ」「じゃあ、頼むからお前たちが出ていってくれ。これはここに残す。」って。悪人正機とは、我々から見た「悪人」ではなく、仏様から見た「悪人」だよ。そういう人こそ救わなくてはならない。今はそういうのが見えにくくなってるんじゃないかなあ。「人間」っていうのは、「人の間」って書くでしょ。人と人との間にいろんな物が入りすぎてねえ、人が見えなくなってるよねえ。ということは、自分もよく見えてないってこと。自分と自分の間に物が入りすぎている。

−インドに行ったときは、何をするにしても人間を相手にしなければなりませんが、日本に帰ってきたら何をするにも機械相手ですからね。

やっぱり、危険でしょ。私はジュースを自動販売機で買うときも、「ありがとうございました」って言う時があるよ。

−和尚さんそんなことなさるんですか。(笑)

やるよ、時々。しかしねえ、大切な物を失ってきてるわけ。「ありがとう」というのは、すばらしいことだよ。それから、目と目を合わせてしゃべれるって人も少なくなってきたよ。それからねえ・・・ちょっと待っててね。(和尚さんが奥へ何か取りに行く。しばらくして)時たま小学校で授業をするんじゃけどねえ、いろんな国の話をするわけよ。子供に夢を持ってほしいわけよ。それでねえ、いい感想文があるわけよ。もう、こっちが育てられるよ。

−小学校何年生ですか。

6年生。私の話を聞いて、私より深い受け取り方をしてるんよね。

−へえ。

ある国にねえ、顔にペッて唾をかける挨拶があるわけよ。「心を開く」ていう意味でね。でも実はそうやって、自分の心を開くんよ。いろんな国にいろんな挨拶があるけど、みんな一緒だね。「おのれの心」を開くってことだよ。そういう話しとかしてねえ。

−子供の方が純粋ですよね。

そう。純粋だから物が見えてるんだね。あのねえ・・・話がとんでる、とんでる。(そういいながらまた奥へ走って行く。すぐ戻ってくる)この前、高校1年の入学式の挨拶で、行き当たりばったりだったんだけど、これ(小学校1年生の詩集を手に持って)を読んだんだよ。みんなこういう道を通り越してるんだから、白紙になって高校生活を送ってほしいって。まだ戻れるって言ってね。もう大学になったら戻れんけえねえ。そしたらねえ、喜んでくれたよ。たとえばねえ、こんな詩があるんだよ。「お父さんは米屋なのに、朝、パンを食べる」

−あっはっはっは。ははは。(爆笑)

すごいやろ、すごい矛盾しとるんじゃよ、子供には。

−大人じゃ、気付きませんよね。

「セールスマンが来た。『赤ちゃんが病気だから帰ってください。』とお母ちゃんが言った。『そんならお大事に。』と言ってセ−ルスマンが帰っていった。うちには赤ちゃんおらへんのに。」

−ほお。

これも好きだな。「参観日の日、学校から帰ったらお母さんに、『答えがわかったときは自信を持ってしっかり手を挙げなさい』と言われました。これからは自信を持って答えようと思いました。先生『自信』ってなんですか。」

−あはははは(笑)

こういう心を持ち続けるってことだろうね。というか、こういうことに帰っていくってことだろうね。「無我」をトコトンつきとめていくと、ここへ戻ってくると思うね。だから、この前PTA総会でね、「お母さんよりも子供の方がずっとお母さんが見えてますよ。」って言ったんだよ。どうしてかっていうとね、利害関係がないからね。素直さっていうかね。旅の話から、とんでもないところに来たよね。

−あはは。旅の話もしないと・・・和尚さんは具体的にはどのくらいの国を廻られたんですか。

70くらいかな。

−おお。まだ行かれてない国っていうのは。

南極、北極。それから、オーストラリア。

−それだけ廻られて、「人間とは何々だ」とかって思われましたか。

同じだね。それぞれの面をかぶって、それぞれの生き方をしている。その面って言うのは「言葉」であり、「文化」であり、「肌の色」であり。

−70ヶ国廻られて、これだけは知っておいたほうがいいっていうことは何かありますか。

物に感動する心ですかねえ。いろんな想いだよ。それから、旅っていうのはいい人との出会いだよね。いやな出会いをしたらその国全部を否定したくなるもんね。25年くらいまえにねえ、ソ連をひとり旅をしたんだよねえ。そしたら、私の切符は日にちが違ってたのかな。駅員に言っても誰も責任をとらないんだよ。そしたら、汽車に乗れんのだよ。その日にわかったんよ、駅に行って。よその国だったら明日取り換えればいいんだけど、共産圏の国だから、とんでもないことになると、肌でわかるわけよ。この汽車でこの国を脱出しないと、ビザも切れるし。それでその汽車に飛び乗ったわけよ。そしたら駅員も追ってくる。発車寸前に他のところから飛び乗った。もう動き出して、どこにも止まらないから、国境を越えて。汽車の中でも逃げてね。そしたら日本の団体がおって、そこに紛れ込んだんだよ。もう汽車は相当動き出したから、心配はいらん。

−和尚さんは言葉はどれくらい・・・


言葉はねえ、英語しかだめだねえ。英語でも"I love you"だけだからねえ。

−かえっていいかもしれないですね。(笑)

言葉は通じん通じん。でも、いろいろ言いあいはせにゃあならんけえねえ。日本語でいうわけよ、もうねえ、通じんから。「英語でしゃべってんのか。」っていうから「英語でしゃべってる」って日本語で言うとねえ、"very good"って言うよ。

−あははは。(笑)

これも旅よ。日本語が全く通じん、日本の考え方、価値観の違い、そういうものの中に自分をおいておくと、そういうことが生まれるわけ。そのことで、自分と出会うしね。「おお、こんないい加減な自分がいたのか」ってね。しかし、あいつもいい加減だなって。そういえば、アフリカの真ん中で・・・また飛ぶよ(そういってまた立ち上がる。本の写真を見せて)これなんかねえ、今歩いているところがケニアよ。これがエチオピアよ。ここが川になるわけよ。で、雨期にはいる前にここに入らにゃならんから、急いだわけよ。ところが、ここにたどり着く前に一週間ぐらいヒッチしたんかねえ。とうとう来んでねえ。「ヤベロ」っていう村で、この連中と金を出しあってねえ、その村に一台あるジープを借りてね。動物が出るから、ライフル銃を持った男を雇ってねえ。そして国境越えをやったわけ。このイスラエルの男3人とアメリカの男。そしてヒッチするのにねえ、「おい、今日は日本の当番だぞ。」って僕が行くわけ。一日中するわけよ。「おい、今日はイスラエル。」って言って、イスラエルが行くわけよ。国が代表で行 くわけよ。一週間もやってたら、みんな仲間って感じ、こうなったら。言葉は通じんけど、みんな親しいなるわねえ。で、このイスラエルの3人はいい男たちだったねえ。「おい、昭道。お前はこうやって自由に旅してるけどねえ、本当の自由はわかってない」って言ったよ。「俺たちは、イスラエル人だ。常に戦場の身にある。いついろんなものに命をねらわれるか、わからんから三人で旅してるんだ。そういう中で旅してると自由のすばらしさがわかるんだ」って。「お前は、束縛がないから、本当の自由はわからないよ。」っていわれた。ウーンってうなったね。そう思う。命を懸けて彼らはねえ、いろんな国には行けんからねえ。ところがねえ、当時、日本人はいろんなところに行けた。日本はそういう意味で世界的に安定していた。バランスがとれてるということは大切だねえ。バランスは平和だねえ。

−核兵器の平和については?

人間はおろかですよ。自分たちの開発した物でね、自分たちが怯えて。動物はそういうことはせんよ。

−仏教の方は、核兵器の「か」の字もだめかと思っていました。

そりゃ、ない方がいいよ。それは前提。

−現実的だなあ。

仏教は「生きる」ってことだから、死んでから先のことじゃない。それが過去をつくり、現在をつくってるんだから。刹那の中に現在・過去・未来を見ていくっていうかねえ。その連続なわけよ。それが今の結果よ、世界の。

−そうですね。ところで、ちょっと話は変わりますが・・・(笑)

あはは、変わろう。(笑)

−動物の話で、何かおもしろい話はありませんか。

あるある。キリマンジャロでねえ、降りるとき黒豹に出会ってねえ。その瞬間ねえ、命かけたよ。「うわあ!!」って言ったよ、黒豹に。そしたら向こうが出会いの瞬間にびっくりして逃げたよねえ。

−あはははは。(笑)

逃げたあと腰抜かしたよ、私は。初めて腰抜かした。それから、自然動物園の中で、九州ぐらいの大きさがあるからねえ、そこで寝るところがなくてねえ。そしたら夜中にたたき起こされたわけよ、住人に。そしたら目の前をアフリカ象がねえ、玄関の前のバナナをなぎ倒して食べてるわけ。「お前たちは死ぬ気か。」ってね。まあ、そのおかげでその人たちの家の中で寝れたんだけどねえ。おいしい物を食べさせてくれて。あと、馬鹿なことをしたもんだが、「秋山」って男だったかな。今、北海道で牧場してるよ。牧場つくるのを夢みてた男でねえ。その「秋山」さんとねえ、他にもおったんじゃけど、誰が象に一番近づくかっていう馬鹿なことをしたよ。親子の象がいるわけ。

−危ないですねえ。

危ないねえ。速いよ、象は。そんなこともしたねえ。あと、法政大学の探検部の男はねえ、川なんかで遊んでたから、虫が体に卵産みつけてるわけねえ。風土病っていうかねえ。それが体に出てくるわけよ。プクって豆みたいに。それを剥いで、出してねえ。

−うわあ・・・

まだ生きてるからねえ。あれが血液の中に入ったらだめでしょうねえ。幸い、出てくるやつだったからねえ。針を持っていってねえ。

−すごいなあ、体験が違う。

他にもねえ、アフリカのど真ん中から海岸線まで汽車に乗ったときに、魚の燻製を売りにくるわけよ。それ食べんとカルシウムがとれんから、買うわけよ。安いしね、4,5匹。で、食べるわけね。もったいないから、次の日にとっとくわけ。次の日食べようと思ったら、ウジがわいてるわけ。「うわあ」って捨てると、拾って食べるわけよ、子供たちが。「体ってすごいなあ」って、そういうの食べとっても、胃酸が強いからねえ、ウジ虫を殺してくれる。そうすると体を拝みたくなる。すごいよ。それに、停車時間の長い駅ではちょうどクソしたくなるけねえ。

−いい具合に。(笑)

だから・・・何の話からこうなったんかね。(笑)旅っていうのはいろんな事に出会うよねえ。自分の体にも出会っていくっていうか。それから親が好き嫌いないように育ててくれたっていうのもありがたいよ。何でも食べれた。ただねえ、エチオピアとケニアの国境あたりの飯っていうのはねえ、激辛っていうかねえ。辛い!唐辛子の粉で炊いてるんだから。

−うわあ。

真っ赤よ、鳥の肉かなんか知らんけどねえ。どこ行ってもそれしかない。バナナの青いのを干して粉にしてねえ、そしてそれを水にして溶かしてパンにしてねえ。それと一緒に食べるともう激辛。ハアハアハアハアって。食べるのが苦になったのはそれが初めてだねえ。

−インドとかはどうでした。

最初は辛かったけどねえ。帰りは甘い。

−甘いんですか。

甘いっていったら語弊があるかねえ。もっと辛いのを体験したからねえ。だから人間ねえ、本当に苦労した人は強いはずよ。

−そりゃあ、確かに。

そうよ。だから、みんなのおじいちゃん、おばあちゃんは強いはずよ。第二次世界大戦でねえ、生きるか死ぬか。これ以下の生活がないってところまでいく。これを「落ち着く」っていうんよ。これ以上落ちんっていうこと。

−ああ、そうかあ。(感心)

だから、自分の欲とか醜い心とかをいろいろ感じるとねえ、落ち着くよ。俺以上の悪人はおらんと思うとねえ。見栄とか持っちゃうと、落ち着かんよ。ビリの人間は落ち着いとるじゃろ。ましてや、上がる喜びがある。これが、戦後の日本経済を支えたんじゃね。これ以上落ちんっていうところから、這い上がっていったんじゃね。だから、発展途上国の方がたくさんのことを学ぶねえ。どうしてかっていうと、生きるっていうことに接するよ。

−豊かな生き方とそうでない生き方はどっちがいいんでしょうか。

一般的にいう豊かなところに行っても、自分が豊かになれるものを与えてくれないからねえ。力になるものっていうかねえ。生きる上においての力っていうのは、豊かさでしょうねえ。今の若い人は生きる力がないねえ。

−極限になったことがないから。

そうなりゃやっていけるんでしょう。ただ、やっていき方が違ってくるでしょう。そういうことを経験したことがあるひとは、貧しい中でも与えていけるんじゃいなかあ。さっきのバクシーシの話じゃないけど。ないものまでも与えていけるっていうかねえ。ところがそういう世界を知らんと、他人を蹴落としてでも自分が生きていくってことになるかもしれんし。

−でも、今の世の中だと日本にいる限りにおいては、そういうのを知るのは難しいですよね。

難しい。

−じゃあどうすれば。

「旅に出よう」って言ってね。

−寺山修司ですか?

そう。そういえば、おもしろい人がいたよ。アフリカの真ん中を鹿児島弁で通してたね。

−あははは。(笑)

尊敬したよ、みんな先生、先生って呼んでね。日本人にも通じんような鹿児島弁で。面白かったね。「高い高い」って言ってね、安くさせるのが一番うまかったね。

−僕も日本語で言ってみようかな。

そうよ。下手な英語より通じるんじゃない?というのはね、やっぱり人と人との分かり合える接点って言うのは、聞く世界だね。これも旅のコツじゃないかなあ。わかってあげようとして、わかろうとする。これはねえ、分かり合えるねえ。これはねえ、原点と思うよ。私が最初アメリカに行ったときにねえ、学生運動が激しかったよ、アメリカ仏教界の。ロサンゼルス空港に着いてねえ、日本人がたった300ドルしか持って降りれなかった。どうしてかっていうとねえ、日本はドルの準備高がないからねえ。日本が貧しかったから。行く前にアメリカの領事館に行ってもねえ、自分でパスポートを持って面接ですよ。領事との面接でビザをくれたんですよ。神戸の領事館へ行って、中に通されたらきれーいな女の人でねえ、でも英語でしゃべられるとわからんのよ、何言ってるか。

−あはは。(笑)

あの高い鼻にかかった英語ってねえ、わからん。そしたら領事があきれて、笑ってねえ、「何しに行くの、あんた」って。だから英語を勉強しに行きますって言ったら、"OK!"ってポン!

−あははははははは。(大笑)

これがねえ、出会いよ。こいつは英語はだめだけど、たいして悪いことはせんぞってわかるんじゃろ。そして、行ったよ。飛行機から降りてね、周りは全部英語よ。流れるスピーカー全部英語よ。空港のロビーでは"attention please."って分かるわけよ。それでペラペラ言って、最後に"thank you"ってつけて。

−あははは。(笑)

よう考えたら、最初と最後は分かるわけよ、途中何もわからんわけ。聞く耳がないから。わからんでもいいことがわかって、わらんといけんことがわからん。英語がわからんとねえ、付録が付く。「対人恐怖症」っていうね。

−はじめはやっぱりそうですか。

そうよ。今と違って、日本人もおらんからねえ。そうやって色んな自分と会っていく。色んな自分と会わんとねえ、これは豊かな旅とはいえんねえ。貧しくなるんじゃないかなあ、内面ね。アメリカに住んでいるおばさん家に行ってねえ、アメリカ人はパーティーが好き。「日本人が来た」ってパーティーするでしょ。この子は仏教勉強して大学院に行ってるっていたっら、みんな英語ができると思うからね。テレビ見るでしょ、みんながわっと笑ったら、私もわっと笑う。わからんのに。

−全然わからないですよね。(笑)

人より1秒遅れるけど、ばれんように笑うわけよ。これもピエロだね。実がない笑いも経験してきたよ。それでも、人より先に笑うって失敗はないよね。

−あははは。(笑)

そしていつも英和と和英を持って外に出てね、その辺の子供と話すわけよ。3歳の子が英語ペラペラだからね。頭に来るよ、ひっぱたきたくなるよ。コンチクショー。俺は中学3年高校3年大学で2年の8年やって、こいつは生まれて3年。ペラペラよ。聞いてるからよ。聞くと言うことから出発してるからね。

−そういえばアメリカじゃ夜はひとりで出歩けないですねえ。

日本だけだねえ。私が15年ぐらい前に南米一周したときに、ロサンゼルスから南米に行こうとバスターミナルにいたらねえ、日本人でしたよ、「おい、そこの日本人!そんなところにいたら殺されるぞ!」って言われて。日本の国旗をつけてリュックサックして歩きよったからねえ。

−あっはっはっは。(爆笑)いつも、日本の国旗つけてらっしゃるんですか。

そう。あのねえ、日本出て旅してるとねえ、日本を背負って旅してるなあって教えられるわけよ。自分だけじゃないわけよ。極端にいうとねえ、アラブの国を旅したときに石投げられたよ。「日本人!日本人!」って言ってねえ。「俺はチベット人だ!」って言ったけどねえ、国旗をやぶってねえ。危険を感じて。アフリカでは「ソニー」「トヨタ」って言われて親切にされたりね。

−一番つらかった国は。

さっきの食べ物が辛かった国かな。赤道直下は辛いですよ。辛いものを食べて神経を刺激するんでしょうねえ。汗かいて、風が吹いたら涼しいですからねえ。

−そういうことかあ。

体が熱もつよ。それだけだったらいいけどね、トイレ行ったら「出血サービス」よ。

−あっはっはっはっはっは!!!!(大爆笑)

食べる楽しみがないよねえ。ただ、助かったのはコカ・コーラとファンタはどこにでもあるねえ。コカ・コーラ世界制覇。感謝するよ。高くってもいいよ、水なんか飲んだら大変なことになるから。コーラは体に悪いとか言うけども、ほんとに困ったときは「コカ・コーラ様!」って。自分の都合よね。自分がかわいいよ。

−そうですよね。

それから、アフリカの旅でもこんなことがあったよ。汽車がねえ、木を焚いて走るんよ。アフリカのど真ん中で、100キロぐらい北に行こうとしたわけ。そして、この汽車がねえ、1日に4本ぐらいあるって聞いてたんよ。だから、聞きにいったんよ、あと一本ぐらい残っとると思うて。なんてことはない、4日に1回じゃった。

−はははは(笑)

困ってねえ、日にちがおしとったから。そしたら若者が「来い来い」って言うんよ。何かあると思うてね、行ったよ。そしたらねえ、その村のねえ、いい家に住んどったよ。コンゴの国鉄から日本の国鉄に留学しておって、日本語がちょっと分かるわけよ。3日ぐらい後かなあ、パーティーがあってねえ、「これは日本のフレンドだ」って自慢するわけよ。みんな認めるわけよ、国鉄行っとったからね。で、「日本はすごい国だ」って、ロケットみたいな汽車があるって。新幹線ができた時よ。

−ええ、ええ。

乗ったんだねえ。すごいってわけよ。コンゴ川を船で行くでしょ、4日間。それをねえ、「たった半日で行く」ってわけよ。そりゃそうやろ?びっくりするわけよ。もっとすごいのがあるって。駅に着く度にすばらしい弁当がでてくるって。駅弁よ。

−ははは。(笑)

こりゃあねえ、すごいと思うよ。この汽車なんかねえ、昼頃になったら、2,3時間止まるんじゃから。それで木の下で休むんじゃから。そして火をおこしてみんなで作るんよ、料理を。七輪みたいなもので。こっちはカッカ、カッカ来るわけよ。もう、この汽車で夕方に着いたら、夕方からすぐ船に乗って、また、2泊3日でコンゴ川を登らにゃあかんから。これが遅れたらたまらんわけよ。また、4日間待たにゃあかんわけよ。それがみんな昼寝しはじめるから、頭に来るわけよ、コンチクショウって。それで、汽車が出発しても、変なところで止まるんよ。何するかいうたらねえ、「燃料が切れた」って。そしたら線路わきに積んである材木をみんなで積むわけよ。こっちは汽車が遅れたらあかんけえ、一番先に必死になって。アホよ。

−あはっはははっは。(笑)

とんでもないことを一生懸命やってるわけよ。これも「欲」よ。そして、汽車が出発したら、また汽車が止まるわけよ。捕物帖が始まるわけ、タダ乗りの。切符がないのはみんな汽車から飛び降りるわけ。それを取り押さえるわけよ。おいてけばいいわけよ、動物が来て食われるから。

−はっはは。(笑)

ねえ。ちょうどいい所なんよ。

−本当ですね。

それで、一番最後の車両が檻よ、オリ。それから、向こうに着いたらちゃんと船は汽車を待ってるわけよ。それを先に言うてくれたらいいのにねえ。これについて、僕はこの本で書いてるけどねえ、「日本は秒で動いてる、ヨーロッパは分で動いてる、中近東は時間だ、アフリカは日にちで動いてる」って。じゃあどれが幸せかっていったら、やっぱり人間が作った時間で振り回されたくないねえ。地球規模で生きたいねえ、どうせなら。僕はほとんど時計はしてないねえ。それに、日本ではどこでも時間はわかる。人に聞きゃあいいし。反抗よ。

−お寺のお鐘は時間通りですか?

本当は日の出とともに、日の入りとともに打つ。うちでは、6時に打ってるけど、夕方ねえ。子供が来てお経をあげて帰りますけどねえ。夕方にね。自分の誕生日にも来るよ。

−誕生日ですか?

そして、自分の誕生日を通して、お母さんのご苦労を鐘を聴くことで感じとっていこうっていうねえ、自分の誕生日を祝うんじゃあなくて。お産っていうのは命かけますからねえ。人間だけじゃあない。そういうなかで、自分が生まれてきたんだってことを、その数秒ぐらいはねえ。

−仏教っていうのは、「感謝」が大事なんですね。

おっしゃる通り。これが基本だと思う、人間だっていうのは。感謝なんて人間だけだからね。人間だけが与えられたものっていうのはねえ、やっぱり考えていかにゃイカン。笑うこと、涙を流して泣くこと、想い、悩み、苦しむ。うちの長男のねえ、参観日の時だったよ、初めて行ったんかなあ。もうこれが最初で最後だって思ってたらね、34,5だったかなあ、女の先生で、国語で芭蕉の授業をしとったんよ。「夏草や 兵者どもの 夢の跡」って黒板に書いてねえ、この俳句はどういう時代背景で、どこで読まれて、芭蕉はどういう想いで読んだんだっていうねえ、ひとつの「個」として芭蕉を多面的に、立体的に学んでいく授業で、「面白いなあ。非常に有意義な授業されるなあ。」と思って、後ろに立ってたよ。そしたらその女の先生が、「和尚さんは平泉に行かれたことございますか」って聞いたよ。変わった先生だなあって思いながら、「平泉は芭蕉には縁の深いところで、神社、仏閣、その他の風景は芭蕉ならずとも、日本人だったら歌心をくすぐられるような所じゃないでしょうか。古き日本のふるさとを感じさせるところです。」って言ったら、「みなさん、そういう所だそうです。一度行 ってみましょう。」って人を利用するような先生でね。

−あはは。(笑)

そして、15分ぐらいたってかねえ、その先生が「残りの授業は和尚さんにしてもらいます。」ってこう言ったんだ。

−あははははっは。(大笑)

そしたら、うちの息子が後ろを見てねえ、「頼む、変なことはしないでくれえ」って目つきでねえ。誰かが拍手がして、その拍手が広がってねえ。授業の内容はともかくとして、いつもの先生より坊さんの方が面白いでしょう。ハプニングとしてだよ。

−そりゃそうですねえ。

ま、期待に応えて、前に出てねえ。芭蕉の続きをしたんよ。金子兜太(とうた)って知ってるかなあ、日本を代表する俳人ですけどねえ。彼が年に一回ここ(真栄寺)に来て、小林一茶とかの講演をするんですけどねえ。先生もそれを知ってたんでしょうねえ。ただ、私が俳句を知ってるというのは錯覚よ。私自身が錯覚したわけや、芭蕉を少し知ってると思って。知らない奴ほど知ったかぶるというかねえ、まさに私のことよ。ゆっくり話せばいいのに、知ったかぶって早く話したから5分もたんかったんよ。困ってたら、前の女の子が質問してくれてね。「和尚さん、芭蕉の句でどんな句が好きですか。」って言うわけよ。「やがて死ぬ 気色も見えず 蝉の声」って謳ったよ。これは中学生に言う俳句じゃないよ。そしたら向こう側にいるぽっちゃりした子が「坊さんはすぐ死を言う」って。

−ははは。(笑)

ぼそっとね。私も時間があるから、「確かに死を使ってる。でも、これはね、芭蕉は逆説的な言葉なんだ。死という言葉を使って、如何に生きていけばいいかっていうことだ。人間は一枚の紙によく例えられる。和紙があれば、洋紙もあり、紙にはいろんな質がある。同じ人間でも生き方が違う。顔も性格も何も違う。紙には厚さがある。同じ人間でも生きてきた長さが違う。紙にはいろんな色がある。同じ人間でもいろんな人種の人がいる。そして、そのどんな紙でも必ず裏がある。裏は避けられん。人間もみんな死というものを避けられない。死というものを背負うている。」って言ったら、もう中学3年の授業じゃない。お寺より暗いよ。

−あははは。(笑)

こりゃあ、困ったと思ってねえ。そこでねえ、「動物はみんな死がある。でも、人間だけが思い悩み苦しみ、死を考えていける唯一の動物だ。人間だけの特権だ。だから、大いに死は考えなさい。考えることで、動物から人間になっていく。」って言ったんだよ。死だけじゃないよ、笑いもそうよ。「これから、受験もあって、死にたいって言う友達も出てくるかもしれないけど」って言ったらねえ、「俺たちはいつも死にたいと思っている。」って。

−ほう。

勉強が嫌なんかねえ。これも失敗じゃったよ。でもね、「自殺はよしなさい。待てば、必ず死ぬから。」って。「死なんのやったら自殺もいいけどね、間違いなく死ぬから大切にせにゃあかん」って。こうなったら、わかっとるのか、わかっとらんのかわからんがねえ、授業じゃなかったね。

−あはは。(笑)

それで、まだ時間があったからねえ、真栄寺の本堂の前には小さな森があって、ここには蝉が来るって。蝉には来る順序があってねえ。7月の上旬にニイニイゼミは来る、8月にはヒグラシが来て、一番暑いときにあぶら蝉が来て、10月の初めくらいまでツクツクボウシが来てねえ。しかしそれを過ぎると一匹も来ないって。芭蕉はねえ、蝉もそうやって死んでいく。長さこそ違えど、そういう肉体を背負っている意味では自分も同じじゃないか。そういう状況にあるということを知ってたんだ。そういう意味で、自分はいつ死んでもいいっていう生き方を謳ったのが「やがて死ぬ 気色も見えず 蝉の声」だって。で、芭蕉が時代を超えて、いまみなさんの心を揺さぶっていくのは、いろんな命の中に自分を詠んでいったからだって言ってねえ。そしたらチャイムが鳴ってねえ。「息子をよろしく」って言ったんよ。家に帰ってねえ、息子が「なんて馬鹿なことをしたんだ、自分は苛められてもないのに。恥ずかしい。」って、目に涙を浮かべてねえ。泣きたいのはこっちよ。そのときねえ、気付いたんだけど、「ああ、なんて自分は親を足蹴にしてきたんだろう」って。如何に自分のことを思ってくれてた んかってことを、初めて知ったよ。何の話からこうなったんかねえ。ぜんぜん旅と関係ないのに。

−あはっは。(笑)

でも芭蕉は旅をしたやろ。命を求める旅っていうかねえ。旅と結びついたねえ。

−うまい!(笑)

あははは。ごめんねえ。めちゃくちゃな話しになって。

−いえいえ、普段そんなこと考えないので。大学にもこんな授業あってもいいと思うんですけど。頭に残らない授業ばっかりで。

昔は、専門外でもいろいろ話したもんだけどねえ。

−今までの話をまとめると、今の若者を見てて、心の豊かさが欠けてきてるから、そういうものを求めに旅に出て、その中で命というものを見つめ直していけ、というのが和尚さんのメッセージでしょうか。

そうだねえ。

−生と死というものはいろんなところで関わってくるもので、例えばペットを飼った時点で「生」に手に入れて、それを育てていく終わりに「死」が待ってるわけですね。最近、それをテーマにした「た○ごっち」というのがありますが、どうお考えですか。

「命」っていうのは痛みってものがあるべきでしょうね。それは、機械じゃ感じないよね。こういうものが流行るっていうことは、すばらしいことなんだよね。出発点においては命を求めてる。でもそれは、命から遠ざかっているってことなんよ。我々の周りには様々な命のふれあいがあったわけだ。だからそういうのを必要としなかったわけ。

−虚栄の中に命を求めているところがあるわけですね。

そう。

−その最たるものが、バーチャルリアリティーだと思うのですが、それもよくないものでしょうか。

と思いますね。やっぱりねえ、本物に接せんと。疑似じゃだめ。私の先生が言ってたんだけど「本物にたくさん出会いなさい。そしたら、おのずから偽物がわかる。いくら偽物に出会っても、本物はわからない。」って。

−わからないですね。

疑似じゃ何の力にもならん。本物に出会ったときにその方法がわからんから。

−そういうものも旅の中で見つけていくことができると?

見つけるんじゃなくて、否応なしに体験できる。あのねえ・・・(そういって、奥へ走っていく。ある本を手にして)話は変わるけど、去年ねえ、宮崎でねえ、70何億だかかけて図書館と文化ホールと美術館をつくったんですよ。それを記念して、宮崎県に関したいろんな本を発掘したわけね。「21世紀の子供たちに伝えていく宮崎の100冊の本」っていって、1万冊ぐらいの中から100冊選んだわけよ。それにこれが選ばれたわけよ。100冊の中に。旅の情報じゃなくて人々との出会いを書いたからだろうねえ。ごめんね、自慢して。

−いえいえ。(笑)

いや、うれしかったんよ。ていうのはねえ、私は子供に夢を持たしたかったわけよ。夢っていうのはねえ、持たにゃあいかん。大きな力になる。あんたたちも持ちなさいよ。

−はい。

私の父親はねえ、「棒ほど願うて、針ほどしかかなわん人生だ」って言ってたよ。今になって思うよ、私はねえ、世界一周の夢は持つべきではなかったって。やっぱり、宇宙に行く夢持たなあかんかった。叶うてしまったから、世界一周が。

−ほお。

でねえ、私がこの本を書いたきっかけはねえ、この人の本と出会ったからなんですよ。この人の本も選ばれて、なおうれしかったよ。岩城正太郎っていう宮崎に観光をつくった人なんですよ。この人がねえ、「無人灯(むじんとう)」っていう本を書いてるんですよ。仏教を基盤として生きた人ですよ。僕は死ぬまでにこんな本を書きたいと思ったんですよ。僕は自分の本ができて、一番先にこの人に持っていったよ。「本をありがとう。今64ページまで読んでます。今から、残りを今夜読むのが楽しみです。」って。人を育てるってこういうことよ。私は今でも持ってるよ、その手紙。感動してね。だから、私はテングになれんよ。どんな事しても。たかが、このくらいでって。それはやっぱり、いい人との出会いだねえ。すごい人が、私のような青二才を大切にしてくれたっていう、その出会いが、子供に夢を与えていきたいって思わせたんだねえ。

−へえ。

こんな事のために持ってきたんじゃなかった。(そういって、『聖なる国々の姿(鉱脈社)』にある、3人の顔写真を見せて。)これ私よ、3人とも。

−え?全部ですか!?

別人よ。それは大切なことでねえ。環境が変わると人相が変わるってことよ。

−これは、環境がよくなった顔なんですか。(笑)

そうでもないけどねえ。(笑)アフリカ、インド、ヨーロッパで写った顔だけどねえ。


−あ、これは国が違うんですか?どれがどれですか?

これ(左)、ヨーロッパだねえ。

−そうですねえ。

で、これ(右)がインドだねえ。これ(中)がアフリカ。

−あは!(大笑)なるほど、わかりますねえ。

動物が多いとねえ、カモフラージュせにゃいかんのよ、同じ動物よ。面白いよ、環境って。ただ、麻原彰晃に似とるって言われるんよ。

−ははははは。(笑)

困ったもんじゃ。あとねえ、家庭の環境って大切よ。感謝よ。(そのとき、奥さんがコーヒーを持ってきてくれる。)

−どうもありがとうございます。

こういう話を聞いてくれる人がおらんもんじゃけえ、つい脱線ばっかりして(奥さんに)。馬鹿な話しばっかり。(笑)

−でも、面白いですよ。

ある国でねえ、ライトバンを改造してみんなで色んな国を旅してたらしくてねえ、それをちょうどヒッチしたんよ。ガソリン代みんなで払うからって言ってねえ、旅を始めたわけよ。で、あの辺はアドリア海かな、イタリア対岸はイタリアやけどねえ。そこで泳ぐとねえ、みんな真っ裸で泳ぐわけよ女の子がねえ。感動したよ。

−ははっはは。(笑)

そういう雰囲気なんじゃわ、大自然の中で。そしてねえ、あのときはそれぞれカップルが出来たんかなあ。でも、ひとり女の子が余ったわけよねえ。僕は途中からヒッチしたから、その子と仕方なしに・・・仕方なしっていったら無礼やけど。(笑)あの、チキンっていうあだ名だったよ。

−チキン?

チキンちゃん。そんな感じよ、わかる?

−はははははっは。(笑)

みんなそれで、ドブロブニックっていう昔をそのまま残した町でねえ、そこに着いてねえ、5時間ここでフリータイムっていうわけよ。5時間、後車に集合。来ないと出るからねって。そのチキンちゃんだけひとりで。で、私の後ついてくるわけよ。最初手をつなごうとするけどねえ、私恥ずかしいわけ、日本人やから。そしたら、今度は腕組んでくる。やめろって。

−ははは。(笑)

そしたら、誰が恥ずかしいのって。誰も恥ずかしがってないって。結局恥ずかしがってるのは自分よねえ。最後は肩組んできたよねえ。うれしいやら、恥ずかしいやら。

−はは。(ちょっと笑)

で、別れ際にねえ、僕はここからブルガリアに行くわけ。彼らはギリシャに行くわけ。別れるときにねえ、真昼間よ、チキンちゃんがねえ、僕にキスしてきたよ。みんながおるのによ。たまらんよ、うれしいけど。

−はははは。(笑)

民族の違いだねえ。この子とも一時、日本に帰ってからも文通してたけど、どうしてんのかなあ。この頃は10ヶ国くらいの人と文通しとってねえ、疲れたよ。

−あはっははは。(笑)

別れにキスするってことは普通のことよ。でも、日本人じゃから。とくに我々の世代では大変なこと、昼間から。日本人を感じるよねえ。文化っていうか。色んな旅で教えられるよねえ。文化を背負ってるんだねえ。と思いますねえ。

−もうそろそろ時間なんで。長くなってすみません。

いえいえ、こちらこそ勝手にしゃべってねえ。

−では、和尚さんにとって旅とは?

「日本を知るということ。自分を知るということ。」

−「あちこち旅をしてまわっても、自分からは逃げることはできない」というヘミングウェーの言葉がありますが、自分から逃げようとする気持ちが旅をしようと思わせるのでしょうか。

そうでしょうね。逃避的なところはあるでしょうねえ、とくに今は。そしてやっぱり、旅をするっていうのは、帰る所があるっていうことでしょうねえ。

−だからこそ、旅ができるんでしょうね。あと、旅行は若い時と年とってからと、どちらがいいのでしょう。

いつでもいいでしょうねえ。若いほど良い面はたくさんあるでしょうし、いろんな事を経験してからの旅はまた違ったいい旅ができるでしょうしねえ。ただ、私に言わせれば、より若い時に行った方が感動の数が多いというか、その国で染まりやすい。

−こんな面もあったんだって発見するから、自分の枠が広がるような気もしますね。

そうそう。

−結構大胆だなとか。

それから、旅っていうのは形のあるものから、形のないものへの旅かもしれんねえ。実際形のあるものを求めていくんでしょうけど、食べ物とか。結局、心に出会うというか、形のないだね。

−最後に、和尚さんが仏門に入ったきっかけは?

物心ついたらお経を覚えててね。

−何の抵抗もなく?

坊さんになりたくないっていう気持ちはあったけどねえ。私は兄がいましてねえ、兄はどうしても坊さんになりたくないって。

−はあ。

で、大学入試の時にねえ、僕に、「お前頼むから寺継いでくれ。俺は違う道で生きたい。早稲田の東洋哲学受ける。」って。親父も「それは仕方ないから、ただ、早稲田落ちたら京都の龍大(龍谷大学)行けよ」って。落ちたわけよ。そして龍大行ったわけよ。でも、1年も経たないうちに、「仏教はすばらしい。一緒にお寺をやろう」って。親父が20年近くかかってよう変えなかった兄貴を、仏さんの教えが1年もかからずに変えたからねえ。これは本物だって思った。

−ほお。

それが僕の出会いでもあったかな。兄ほどの抵抗はなかったしね。ていうのは、親父が仏様に感謝して生きてたからね。

−押しつけられると嫌ですけどね

「やれ、やれ」っていうのはね。

−さっきの話じゃないですが、米屋の息子がパン屋になってるかもしれませんからね。(笑)

はっはは(笑)

−今は、ここ(我孫子)ですが、どうしてここを選んだのですか。

寺がなかったから。

−浄土真宗の?

そう。ところで、君たち今3年?

−就職活動です。こんなことやってますけど。(笑)

僕も色々やったけど、いろいろ可能性はあるからねえ。今は僧侶だけど、それまでがあったからだしね。

−欲張りになっちゃっていいのかなあ。

そう。やったことがマイナスになっても、それをプラスに変えようとする生き方だね。

−子供ってうらやましいですね。塾講でバイトしているんですが、担当が高3や浪人なので、現実的になって、将来の夢の欄が「公務員」、「サラリーマン」または書かない、そういうのばっかりなんです。

夢を失わない生き方っていうのは難しいけどねえ、大切だよ。

−でもまあ、「サラリーマン」とか書いても、実は自分ではとんでもないこと考えてたりするかもしれませんしね。あっ、6時ですが、鐘はいいんですか?

おお。

 

そのとき、「ゴーン!」と。近所の子供が鐘をついているようだった。

「ゴーン!」
僕たちも鐘をつかせてもらった。

「大晦日にはつきにおいで。300人くらい来るからいつもそれくらいついてるよ。」

煩悩108を超えてると思ったが、108という数より、ひとり一回ということが大切なんだとも思った。

 この寺にはいつも人が集まってくる。「誰もがやすらぐ時」がここにはあるからだろう。