8月19日
朝5時起き。朝日を見るためだ。暗黒の山を登れば、石畳が続く。神殿があった。プノン・バケン。崩れかけてジャングルの中、ここも眠っている。雨季である。ただ朝は白けて、東の空は赤く染まっていた。どこに何があるのか、わからない。アンコール・ワットの太陽は何時にのぼったろう?神殿の頂上には小屋があって、鶏が鳴き、遠くの鶏もそれに答えていた。こんなところにも人が住んでいると思った。だが、実際は三人の軍人が駐屯しているのだ。子どものような人たち。
それから、アンコール・トムへ。石橋を渡り、四面に笑う顔した城門をくぐり、巨大な都城に入り込む。木々の間、バイクの後ろから景色を見ていた。途上、何もない、原生林が広がっている。アンコール・トムの中心に位置するバイヨン寺院、子供たちが三人ほど私に付きまとって観光案内をした。アプサラー(踊り子)、戦いのレリーフと、わけのわからぬ風に説明してくれた。クメールの子はかわいい。宿にいた赤ん坊、一歳に満たぬのにイヤリングをつけて、レリーフのように悪魔的だった。
子らは私に、次はこっち、次はこっちとすすめた。そして終わりといった。何が終わりだろう?心の底からふつふつと何か沸き上ってきた。いったい何故、お前たちが終わりと決め付けるのだ。本当は、子供たちに対してではなく、今まであった色々の事どもがその時に思いやられたのだ。
そのころ、私には苦しい思いがあった。私は上に下に子らを引きまわし遺跡を見た。修復にたずさわる男たち、壁面に微笑む顔。やはり聖域の神殿は巨大で美しく、自然の中で赤く暗く沈んでいる。インドシナ西部、プラサート・ムアンシン、ペッブリーで見た聖域の比ではなかった。まぎれもなく強者の所有物である。ここにいるクメール達にふさわしいものではなかった。さんざん引き回した挙げ句、三人の子らの一人のポケットに
500リエル入れてやった。不満顔、口々に、サー、もっとくれ、と言う。無視して遺跡内を逃げ回る。「おまえの友達は1ドルくれたぞ」大輔はそんなにやったのか。
逃げ回って、西側の階段にリーが座っていた。「イケダ、何してるの?」「今日、何時におきた?」七時半らしい。それから一人またぐるぐるやっていた。隣の神殿もまたしかり。聖域を出て、ハンサムなクメールが、「早く、バイクに乗れ。フレンドはもう行ったぞ」と言う。まだ、充分見ていないが行こう。まだ、日はある。たくさんの遺跡を見た後、そして、リーに疲れの色が見えるので、我々も昼頃一緒に帰った。
昼下がり、三時ごろ、アンコール・ワットへリーは疲れて眠っていた。静かな堀は聖域を映しだし、石の橋を私は渡っていった。どこでもサンクチュアリには像などなく、今は台座のみが、崩れつつある塔の中・回廊にある。その代わり、この道には倒れ伏した仏像のように物乞い達が座していた。手足の無い者、ひどい皮膚病のもの、目のつぶれたもの、それらの中を通り過ぎて、私はアンコールワットを見た。堂々としたものだ。長い長い回廊に続く無限のレリーフ。かつて、日本人が訪ねた際、柱に落書きしたはずだが見つけることができなかった。そんなものを探すなんて、自分は寂しいのだ、気づいた。塔の最上から望む景色は足がすくむほど高く、不思議な風景だった。だがやはり外から眺めてみるのが一番よいのだ。寺院の外側をぐるりと回る。一周回ると図書館に大輔がいた。何も喋らない。ただ座って見ていた。
夜、酒を飲んで倒れる。あの遺跡、巨大で深く沈んだ色をしたあそこは、自然より重く、今ごろ闇とともに地の底に沈んでいそうだ。